出エジプト記 3章1節~5節
カレンダーでは9月16日が敬老の日なので、今日の15日の礼拝は敬老祝福礼拝として守らせていただきました。
今日の御言葉に、「柴は火に燃えているのに燃え尽きない」とあります。この柴とは、砂漠や荒れ野でよく見かける枯れ木のような丈の低い灌木のことだと注解書にはありました。その木が不思議な火によって燃やされ、しかし燃え尽きないと言うのです。
私はこの柴の木が、今80歳になっていたモーセの象徴のように思えます。そしてそれはまた、年齢を重ねた私共のようだと思うのです。私たちも、荒れ野で枯れ木のようになってしまっている灌木のようです。そこにはもう瑞々しい葉も花も実もありません。ただただ枯れはてています。とこらが、不思議にも燃えておりそれでいて燃え尽きないのです。
燃え尽きるという言葉を読むと、燃え尽き症候群ということを思い起こします。その症状に陥るのは、大抵は青壮年期にある人々ではないでしょうか。自分自身の内側に燃える材料やエネルギーが沢山あるのです。だから限度以上に燃えてしまい、燃え尽きてしまいます。
そんな壮年期の40歳だったモーセの姿が出エジプト記2章後半に記されています。
彼は不思議にもエジプト王女の息子として育てられ、ある権力を持っていたのだと想像します。また、エジプトで苦役に苦しむ同胞イスラエル人を救いたいという熱意がありました。
燃えるものが彼自身の内に沢山あったのです。
しかし、それを燃やした結果どうなったでしょう。エジプト人を殺し同胞にも敵対されてしまいました。殺人者としてお尋ね者になり、以来40年間エジプトから遠く離れた所で、羊飼いとして生きてきたのです。そして、何度も言うように、今は80歳の枯れ果てた灌木のようになってしまいました。
けれども、だからこそ神様はこんなモーセをお用いになるのでしょう。自分自身の内に燃えるものを持たないからこそ、今度は神様が燃やしてくださろうとするのです。
神様がモーセに着けてくださった火とは、同胞を救うという使命ですが、それは40歳の時とは違って、モーセ自身が燃やした火ではなく神様が着けて下さった火です。こうやって、神様から燃やしていただくために大事なのは、モーセが荒れ野に行ったことでした。80歳になってもまだ羊を飼わねばならない身の上です。それは「荒れ野」ではないでしょうか。でもそこは「神の山」でもあったのです。
3節と4節に、2度繰り返されて「道をそれる」という言葉があることに、心を引き寄せられます。高齢者だからこそ、しばしば道をそれることがあるのです。意に反して入院したり施設に入らざるを得なかったです。しかし道をそれることに不思議な出会いがあります。神様はモーセに「履物を脱ぎなさい。そこは聖なる場所だから」と言われました。高齢者となり荒れ野のような所にいても、そこは聖なる貴い場所なのです。こんなところは嫌だと、土足で踏みにじるようなことをしていないでしょうか。枯れ木のような灌木のような者として生きることも、聖なるあり方なのです。
エゼキエル書11章14節~16節
この説教は、先日開催された『教師継続教育研修会』の閉会礼拝で語らせていただいた内容の要旨です。
紀元前の6世紀の初頭に、イスラエルの人々がバビロニア(今のイラク)に捕虜とされるという出来事が起きました(まだ国そのものは滅びていませんでした)。今日の聖書の言葉は、そのさなかに預言者のエゼキエルという人が神様から与えられた言葉が書かれた箇所です。
まず14節と15節前半までに記されているのは、端的に言うと、こうした出来事にもかかわらずエルサレムに残留できた人々が、バビロニアに捕虜として連れていかれた人々にあびせかけていた言葉でした。どういう言葉かと言いますと、15節後半ですが「主から遠く離れておれ。この土地は我々の所有地として与えられている」というものでした。
これは要は、「おまえたちは神様から遠ざけられた存在だ。見捨てられた者なのだ。故郷の土地はすべて残留できた私たちに与えられているのだ」ということです。残留できた人々は、自分たちは神様に祝福され、この土地は全部自分たちに与えられたものだと見ています。反対に捕虜とされた人々は神様から見捨てられたのだと捉えていたのです。捕囚民や彼らと共にいたエゼキエルにとっては、どれほど辛い言葉だったでしょうか。捕囚民が残留民からこのような言葉をあびせられている中で、「それゆえあなたは捕囚民に言わねばならない」と神様はエゼキエルに命じられたのです。神様から語れと言われたお言葉の最初が16節です。「確かにわたしは彼らを遠くの国々に追いやり、諸国に散らした。しかしわたしは、彼らが行った国々において、彼らのためにささやかな聖所となった」とあります。
確かに捕囚とされた人々は、神様の御心によってバビロンに散らされたのです。しかしそれは、神様から見捨てられた事の現れなどではないと神様は言われるのです。むしろその反対に、捕囚とされたことは神様から祝福を受けることであり、それは何よりも、散らされた場所やその境遇において神様ご自身が「彼らのためのささやかな聖所となられる」ということの現れだと言われるのです。
聖所とは、そこで神様に出会えるとされる場所のことであり、具体的には礼拝所のことです。捕囚民という立場では、特別な礼拝所を建てることなどは許されず、捕虜にあてがわれた家々で密かに集まって礼拝を献げるのがやっとではなかったでしょうか。
かつて祖国にいた時に礼拝していた立派な神殿などはどこにもないのです。ところが神様は、その粗末でささやかな礼拝所こそが、「わたし自身」捕囚民のための聖所となることだと言ってくださるのです。
私たちも、「遠くの国々に追いやられ散らされる」という事が有ります。コロナ禍において教会はまさに「ささやかな聖所」となりましたし、コロナ禍が終わった後も以前には戻ることができないのです。その粗末さに私共はどれほど打ちひしがれているでしょうか。そのような私共に神様は、教会のささやかさこそが神様ご自身が建てたもう聖所の姿だと語ってくださるのです。ささやかさであることの幸いを思います。
マルコによる福音書13章1節~8節
今日の御言葉は、イエス様が世の終わりとも言うべき出来事を預言なされたところです。
この御言葉を理解する上で、まず銘記したいことがあります。それは、ここに書かれていることの多くが、西暦66年から70年までに起きたユダヤ戦争という出来事で現実になったものだと点です。ローマ帝国がイスラエルを攻め、主都エルサレムに逃げ込んだ末にそこで死んだ人々は、100万人を超えるほどだったそうです。飢餓で苦しんだ者は、死んだわが子の死体をさえ食べたということです。
このマルコによる福音書が書かれたのは、このユダヤ戦争が起きる前だとされていますが、しかしこれが編纂され人々の間に流布してゆく時にはもうこの戦争が終わっており、人々はイエス様が預言されたことがその通りになった現実を目の当たりにしていたのです。
生き残った人々が何よりも思ったのは、7節にある言葉ですが「世の終わり」ということではなかったでしょうか。何しろ人口のかなりの部分が死に絶え、頼りにしていたエルサレム神殿も粉々に崩壊してしまいました。「もう世の終わりだ、こんな中で生きてゆくことはできない」と誰もが思ったに違いありません。
しかしそこでこそ、人々が思い出したイエス様のお言葉があったのです。それは、やはり7節にある「そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない」とのお言葉です。「そういうことは起こるに決まっている」と言われた通りに事は起きたのです。だとすれば「まだ終わりではない」とのイエス様の真実なのではないでしょうか。簡単に世の終わりなどと思ってはいけない。まだまだそんなものは来ない。この辛い現実の中で生き残ったあなたがたには、なすべき働きがあるとのイエス様の言葉を、人々は思い起こしたのです。それによってとても励まされたのではないでしょうか。
「起こるに決まっている」の「決まっている」とは、ギリシャ語の原語でデイという言葉です。それは神的必然のデイと呼ばれ、神様の御心として必ず起きねばならないことを意味します。そのように、この世界では、「民は民に、国は国に敵対し・・・方々に地震があり、飢餓が起こ」らざるを得ないのです。それは人間の世界の常です。こうしたことが起こらざるを得ないのだとすれば、その惨状に私共が「もう世の終わりだ」と、余りにも強く絶望してしまう必要はないでしょう。
また「世の終わり」の「終わり」と訳された原語はテロスという言葉です。確かに終わりという意味もありますが、本来はゴールとか目標という意味なのです。ですから、イエス様が「まだ終わりではない」と言われたのは、まだまだゴールには到達はしないという意味なのです。
私たちが「もう終わりだ」と思ってしまうような辛い現実の向こうに、なおこの世界が向かうべきゴールや目標があるのです。それは、7節や8節で言われているような世界の現状とは正反対に戦争や地震や飢餓のない世界であるのです。8節最後には「産みの苦しみ」というお言葉もあります。苦しみの向こうには新たな世界の誕生が待っています。新たな世界の誕生の前には、苦しみが起きて当然なのです。そこに慰めが有ります。
創世記 28章10節~17節
まず10節から11節を読むと、ヤコブはハランへと向かう途中、石を枕に野宿しょうとしていたとあります。どんな経緯から彼はこうした状況に身を置いていたのでしょうか。
これは私の想像ですが、双子の弟として生まれた彼は、母のリベカの胎内にあるときから、大きかった兄エサウに圧迫されて未熟児のような状態で生まれたのではないかと思います。自分では生れ出る力がなく、先に生まれる兄のかかとをつかんでやっと生まれてきたのでした。兄は優れた狩人として成長し、肉が大好物の父イサクから愛されました。しかしひ弱だったヤコブは父からの愛情を得ることができなかったのです。他方母からは溺愛されました。
高齢になって目が見えなくなった父を騙し、兄になりすまして、父から本来兄が受け継ぐべきものを奪いました。そのため兄は弟を憎み殺そうとまで思ったのです。これを知った母は、自分の兄がいるハランへヤコブを逃がそうとしました。こうした経緯からヤコブは今家を出て、石を枕に野宿せざるを得なかったのです。
神様が夢を見させて天から架け橋をかけてくださったのは、このような時でした。これまでヤコブは一度たりとも神様を礼拝したり、祈ったりしたことはなかったのです。そんな彼に神様が声をかけ出会ってくださったのは、家を出て石を枕にした時でした。今から4000年も前の時代社会で、たった独り家を出て生きるということは、多分死に等しいようなものではなかったでしょうか。11節の「横たわった」と訳された言葉は、しばしば死んで横たわる意味として使われるそうです。しかしだからこそヤコブは、神様と出会う機会が与えられたのです。私たちも同様ではないでしょうか。
ヤコブが夢の中で見たはしごは、「地に向かって伸びており」とあります。この階段が伸びる方向は天から地に向かってであり、その逆ではありませんでした。神様が天において造り、これを私たちに向かって伸ばされるのです。ですからそれは、「これが私たちと神様の懸け橋だ」と考えるようなものではないのでしょう。イエス様もそんな懸け橋でした。人として生まれ、十字架の上で殺されてしまうような懸け橋でした。
神様はヤコブに「わたしはあなたを決して見捨てない」と約束されました。神様のヤコブへの思いは、最初に教えられたイサクの息子たちへの愛情とは対照的なものです。イサクは大好物の肉を取ってくる息子を愛し、そうでない息子は愛せませんでした。しかし神様はそうではないのです。ヤコブは神様にどんなものも献げることはできませんが、神様は彼を愛してくださいます。
神様からこのように語りかけられて、ヤコブは「ここは何と畏れ多い場所だろう」と言いました。自分が置かれている場所の奥深さ・神秘さに目が開かれたのです。「場所」とは、何よりも自分が生かされている場所でしょう。これまでは、いつも兄と自分を比べて、生きるのを喜べなかった場所です。でも、こんな私を神様は決して見捨てないと言ってくださるのです。私は神様に愛される存在だと思えました。それが今後の彼を支えてゆきます。
創世記 26章から
アブラハムの息子だったイサクがパレスチナにいた時、飢餓がありました。そこでまずイサクはゲラルという場所に避難したのです。ゲラルの場所ははっきりとはわかっていませんが、現在日々報道されているガザの近くではないかとされています。そこに一旦留まって、そこからエジプトへ避難しょうとしていたのではないでしょうか。
ところが、26:2で神様は「エジプトへ下ってはならない。わたしが命じる土地に滞在しまさい」と告げられて、ゲラルにこのまま留まるのをお命じになったのです。
報道を見ると、今もガザ周辺は砂漠のような所です。人が住めるような場所は少なく、水も乏しいのです。エジプトの方が避難するには適していたに違いありません。「広い場所」と説教題を付けましたが、どこが広い場所かと言えば、ゲラルではなくエジプトなのです。しかし神様は、エジプトへ下ってはならずゲラルに留まれと命じられました。
イサクはこの神様のお言葉に従いました。
しかしそれゆえに様々な労苦を背負うことになりました。まずは、妻リベカを妹だと嘘を言って、ゲラルの王様に人質のような者として差し出さねばならなくなりました。
しかしそれでもイサクは、その土地に種を蒔いたのです。すると神様から祝されました。難儀な境遇でも、種を蒔けるということはあるのではないでしょうか。先月の月報では「舟の右に投網せよ」とのイエス様のお言葉を記しました。必ずや網を投げるべき舟の右側はあり、また種を蒔くことはできるのです。
でも、種蒔きが祝福されると今度はゲラルの住民ペリシテ人から嫌がらせを受けます。王様からは「ここから出て行ってくれ」と言われてしまいます。そこで仕方なくイサクは、「ゲラルの谷に天幕を張ったのです。「ゲラルの谷」とは、普段は川は流れていないけれども、雨が降ると激流が流れる場所だそうです。そんな場所に住むしかなかったのです。
しかしイサクは黙ってそこに住みます。そこで、かつてお父さんのアブラハムがこの地で掘った井戸を見つけるのですが、その度ごとにペリシテ人から横取りされてしまいます。戦うこともできたでしょうが、イサクはじっと黙って新しい井戸を掘るのです。すると最後にはペリシテ人も嫌がらせをやめました。イサクは、「その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言いました。
最初からエジプトに避難していたら、こんな苦労はしなかったかも知れません。しかし、「神様が広い場所を下さった」とも口にできなかったのではないでしょうか。何よりも、お父さんが掘っていた井戸を見つけ、それを掘り返すという体験もできなかったでしょう。お父さんが亡くなった後で、その掘った井戸を見つけてそこから水を得たのです。それによって改めて、お父さんのすばらしさを再発見できたのではないでしょうか。
私たち自身の判断で「広い場所」を選んではならないということを教えられます。ゲラルに留まればこそ、「神様が広い場所を下さった」と言えるようになるのです。
ヨハネによる福音書21章1節~14節
ある高名な宗教学者が、「キリスト教はすばらしい宗教だと思うが、あの十字架だけはいただけない。キリスト教徒は、本当にあんなむごたらしい死に方をした人を、神だ・救い主だと信じているのか」と書いていたのを思い出しますが、復活についても同じようなことが言えるのではないでしょうか。本当に十字架の上で殺された人間が、よみがえるなどという事があり得るだろうかと誰もが思うし、私たちでさえよくわからないのです。
でも、今日の御言葉を読むと、弟子たちは、ガリラヤ湖の岸に立っておられた方がイエス様だとはわからなかったとあります(4節)。同様のことが、他の箇所にも何度か書かれています。弟子たちでさえそうだったのです。ましてや私たちが復活ということがわからないのは当たり前ではないでしょうか。
それでも弟子たちは、この誰かもわからない方から「舟の右側に網を打ちなさい」と声をかけられると、それに従ってみたのです。すると不漁が大漁に変わりました。そうしている内に、イエス様だとわかったのです。私たちも同様であってよいのでしょう。
さて、今日の物語の最初を読むと、弟子たちはガリラヤ湖で漁をしていたとあります。20章ではエルサレムにいた彼らが、なぜ故郷のガリラヤに戻っていたのか、ヨハネは何も記してはいません。ペトロが「わたしは漁に行く」と言いますが、それはあたかも「わたし」がわたしの思いや考えで、捕りたいと思う魚を捕りに行こうとしているかのようです。仲間の弟子たちもそういうペトロに従おうとしています。イエス様はかつて「あなたがたを人間をとる漁師にしよう」と言われて彼らを弟子になさいましたが、ここではそのようなイエス様はおられないのです。するとそのような漁は不漁に終わるのです。
私たちもそうやって、自分で自分を欲しいと思う魚のために遣わそうとしているのかもしれません。また誰かをせっつくのです。その結果は思い通りのものにはならないのです。
こんな私たちに復活されたイエス様は「舟の右側に投網せよ」と語りかけてくださいます。不漁だった同じ場所であっても、大漁へと変わる場所があるとイエス様はおわかりなのです。それは、イエス様ご自身が、十字架という不漁の人生のただ中に、すばらしい大漁となる場所があるのを体験なさったからです。十字架の死によってでなければとれないものがあました。それは、私たちのための犠牲として命を下さることであり、十字架の死のただ中に復活が生じてゆくということでした。だとすれば、私たちの不漁としか見えない人生の場にこそ、大漁となるところがあるのではないでしょうか。私たちの人生にはそのような神秘が満ち満ちています。その神秘が見えておられるのがイエス様なのです。
さて、捕れた魚は153匹だったとヨハネがわざわざ記すのは、この153という数字に意味を持たせたかったのでしょう。1から17までの数字を足していくと153になるそうです。17とは、ユダヤ人の完全数である10と7を足した数字ですが、そのように1日・1日の歩みを重ねてゆけば、いつのときにか大漁になることでしょう。それまで網は破れることはありません。
コリントの信徒への手紙二4章7節~11章
土の器という言葉は、旧約聖書の創世記2章7節で、私たち人間が土の塵から神によって創造されたということに基づいたものです。
土の器であるがゆえに、私たちは今日の御言葉の8節・9節にあるように、四方から苦しめられ途方に暮れてしまう者です。しかし、神様はこの土の器の中にすばらしい宝を納めてくださいました。だから、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望することがないのです。
では、神様が土の器の中に納めてくださった宝とは一体何でしょうか。それを知るには土の器という言葉の出所である、創世記2章や1章の御言葉を思い起さねばなりません。他の動植物同様土の塵から造られた私共ですが、他方創世記1章26節以下によりますと、神様は私たち人間だけを「ご自分にかたどり、似せて」創造されたとあるのです。
神様が私たち人間だけに刻まれたこの「かたどり」をイマゴ・デイ(イメージオブゴッド)というのですが、それを何と捉えるかは様々です。私は創世記1章1節に「初めに神は天地を創造された」とあるので、創造する事だと受け止めます。ですから、神様が私共に納められた宝とは、まずはこの創造することだと言ってよいのではないでしょうか。
では、この創造性という神様からの宝は私たちにおいてどのように発揮されるのでしょう。恐らく、私たち人間だけが土の器であることを苦しむのだと思います。ナチスの強制収容所を生き延びて、戦後は精神科医として活躍されたV・フランクルは、人間を『ホモ・パティエンス』(苦悩する人間)と言いました。人間だけが苦しむのです。しかし、だからこそ私たちは、その苦難において自らを創造してゆけるのではないでしょうか。
皆さんもきっとそうだと思います。それぞれの人生を振り返ってみて、「あの体験が今の私を造った」と言えるのは、きっと苦しみの中に置かれたことではなかったでしょうか。
さらに創世記2章7節には、「土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」ともあります。土の器たる私たちが生き生きと生きる者となるためには、神様から命の息をいただかなくてはなりません。それは、私たちが苦難の中に置かれて、神様に祈り頼ることを通して可能になります。苦難が私たちを信仰する者へと創造するのです。
そして、何よりもの宝は、今日の御言葉の10節以降に記されているように、イエス様というお方の存在なのです。イエス様ご自身が苦難の中に置かれてこそ、ご自分をキリスト・救い主として創造なさったのだと思います。苦しみの中におられないイエス様というのは、考える事が出来ないのです。
十字架の上でイエス様は、詩編22篇の最初の言葉ですが、「我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたと聖書は記します。イエス様がこんなことを叫ばれたのかと私たちは躓いてしまいますが、このようにイエス様も苦難の中で神様に向かわれ祈られたのです。
このように、自らの苦しみの中におられたイエス様が、土の器として苦しむ私たちの中の宝であられるのです。土の器であることを厭わず、むしろ喜びたいと思います。
マルコによる福音書10章32節~45章
今日の御言葉の32節から34節では、イエス様が3度目に受難の予告をされた事が書かれています。これを聞いた後で、12弟子の二人のヤコブとヨハネの兄弟は「(イエス様が)栄光を受けるとき、私共をあなたの右と左に座らせてください」と願いました。
イエス様が3度も予告されたのは、普通の意味で「栄光を受ける」ようなことではありません。むしろそれとは正反対に、死刑にされてしまうという苦難の時でした。それなのに、この予告を聞いた弟子たちは全くトンチンカンな願いをしているのです。過去2回の受難予告でも、同じような弟子たちの応答が書かれています。イエス様にずっと従ってきた弟子たちですが、その願うことはいつもトンチンカンなものでした。
私たちも同じような者ではないかと思わさられます。私たちも弟子たちと同様、イエス様を信じ従っている者です。しかし、そうしつつ私たちが抱いている願いも、もしかしたらトンチンカンなものでしかないのではないでしょうか。41節には、ヤコブとヨハネの願いを聞いて、他の弟子たちは腹を立てていたとあります。私たちもこうやって、勝手な願いを抱くがゆえに、喧嘩し合っているようなものかもしれないのです。
こんな弟子たちにイエス様はどのように対処されているでしょうか。3度も受難を予告されたというのに、3度ともこうした応答をしている弟子たちです。もう愛想をつかされて、お前達など私に従ってくる資格などないと切り捨てても良かったのでしょう。
しかしイエス様はそうはなさいません。そんな彼らではあっても、いつかは「わたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる」と言われています。それは二人が願っていたような杯や洗礼ではなく(右大臣や左大臣になること)、受難することでした。二人はそれを願ってはいませんでしたが、最後にはそうなりました。
使徒言行録12章1節・2節によれば、ヤコブはヘロデによって切り殺されてしまったとありますし、ヨハネは一般的には100歳近くまで生きて天寿を全うしたと言われますが、殉教の死を遂げたという言い伝えもあるそうです。
右大臣と左大臣にとトンチンカンな願いを抱いた二人ですが、最後までイエス様に従ってそのようなゴールを遂げることができたのです。私たちもまたそのような歩みができるのではないでしょうか。何より大事なのは、この二人は、他の誰にでもなく、イエス様に従いたいと思っていたことです。その願いが右大臣と左大臣になることであっても、他の誰でもなくイエス様の右と左に座りたいと願うなら、その願いは(その通りではないとしても)必ずやかなえられていきます。
最後に、私たちに与えられるゴールは、仕え、僕となり、自分の命を身代金として献げることだとイエス様は言われています。それが十字架の上で死なれたイエス様のお姿でした。イエス様に従う私たちに実現するのも、最後はそのような姿です。老いや病に仕え、死の僕となり、その姿が身近な者にとって役に立つ身代金となるのです。イエス様を信じ従うならば、必ずこれが実現してゆきます。
ヨハネによる福音書2章1節~11章
今日は、ヨハネによる福音書から、カナという村での結婚式でイエス様がなされた不思議なお働きを記した聖書の言葉を読みました。
この出来事は、この福音書を書いたヨハネにとっては忘れられないものだったようで、11節に「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。
それで、弟子たちはイエスを信じた。」とあります。イエス様の弟子のひとりであったヨハネという人は、ここに書かれている出来事を体験してイエス様を信じるようになったというのです。一体どんなことが、彼をしてイエス様を信じさせたものだったのでしょうか。
結婚式のお祝いの席で、なくてはならないぶどう酒がなくなってしまいました。古くからの言い伝えによれば、この結婚式というのはイエス様のお母さんであるマリアの甥にあたる人の結婚式ではなかったかとされているそうです。マリアはもしかすれば自分の甥にあたる花婿の結婚披露宴の準備責任者として、精一杯その備えに当たってきたのでしょう。それなのになくてはならないぶどう酒が足りなくなってしまったのです。このことに、準備責任者のマリアはとても心を痛めています。
こうしたことが私たちにも起きるのではないでしょうか。結婚式をお祝いするのに不可欠なぶどう酒がなくなるということは、象徴的に、私たちが生きてゆくことを喜ぶのになくてはならないものが不足してしまうという状況を指していると思います。そんなぶどう酒とは何でしょうか。健康で長生きできることや、大切な家族と共に生きられることなど様々なものがあげられるでしょう。
でもそれが思い通りに得られるとは限らないのです。厳しいようですが、多分足りなくなることの方が多いでしょう。それが私たちの人生の現実なのです。しかしそこにイエス様がいてくださるとき、その不足がとても不思議な形で補われていきます。
さて、ぶどう酒がなくなってしまったと母マリアから告げられたイエス様は、何とも不思議なことに、そばにあった空っぽの6つの瓶に水を汲めとお命じになりました。するとその水が何と最上のぶどう酒に変わったのです。
この空っぽの6つの水瓶とは、婚礼に集う人々が当時のしきたり通りに体を清めるための水が入っていたものでした。大切な結婚式なのですから、集う人々は皆念入りに手や指を洗います。少しでも汚いものや不吉なものが結婚式に入り込まないように。しかしそれでも、ぶどう酒がなくなるという不吉な災いを避けることはできませんでした。
私たちもこうやって、懸命にこれでもかこれでもかと水を汲んで、いろんなものを溜め蓄えて、それをもって体を洗っているのではないでしょうか。それが生きる喜びをもたらすと思っているのではないでしょうか。でもどんなにそれをしても、願っていたぶどう酒がなくなるということは起きるのです。空っぽになってしまった器だけがいくつもころがっているような私たちです。
こんな私共にイエス様は、空っぽになった水瓶に水を汲めと命じてくださるのです。ぶどう酒でなくても良いのです。ただの水で良いのです。これこそが、ヨハネの心を捕らえた核心だったに違いありません。ぶどう酒を用意することはもう無理な私たちです。しかしただの水ならば汲めるのではないでしょうか。こうやって汲んだ水が、生きるのを喜ぶためになくてはならないものに変わっていきます。
マルコによる福音書 14章3節~9章
クリスマスの時期になりますと、いつも思い巡らすことがあります。それは2000年前のイエスという方の誕生が私共の世界に何をもたらしてくださったかということです。英語で「存在」のことをプレゼンスと言いますが、それは不思議にも贈り物を意味するプレゼントと同じ語源の言葉です。誕生によるイエス様のプレゼンスが、私共に何か貴いものをプレゼントしてくださることになったのでしょう。だからこそ、2000年後の今もこうしてクリスマスは祝われるのです。
イエス様が私共にもたらしてくださったのは、それまでにはなかった神様と私共との間柄であり、またそこから私共人間を新しく見ることのできる人生観とか価値観のようなものではないでしょうか。
今日の聖書では、ひとりの女性が非常に高価な香油をすべてイエス様に注ぎ尽くしてしまった出来事が書かれています。周囲の人々はなぜそんな無駄使いをと厳しくとがめましたが、イエス様は最後の8節で「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」と最大限の賛辞を贈られました。確かに、この聖書の言葉が読まれるときには、この女性の行為は今でも称えられているのです。
周囲の人々が、この女性のしたことを無駄使いだととがめるのは当然です。なぜならこの香油は「ナルドの香油」と言って、何と300デナリオン以上のお金(現在の貨幣価値にすると300万円以上)になるほど高価なものだったからです。これだけのお金があれば、沢山の貧しい人々に施すことができるのにと人々はとがめたのでした。
この女性のふるまいを、イエス様はどのように見てくださったでしょうか。6節では「わたしに良いことをしてくれたのだ」とあります。
「良い」と訳された原文の言葉には、良いという意味以前に「美しい」という意味があるそうです。それは確かに無駄使いでしたが、無駄使いをするからこそ生じる美しさ・良さというものがあるのではないでしょうか。彼女はイエス様たったひとりのために、300万円以上もする香油を注ぎ尽してしまいました。それはバランスの欠いた行為だったかもしれません。正しい生き方ではなかったかも知れません。しかし美しい行為ではあったのです。
私たち自身も「自分の人生は無駄ではなかったのか」と感じてしまうことがあります。300万円ものお金を多くの人に施すというのは、とてもインパクトのある目立つ行為です。それに対して私たちの人生というのは、ごくわずかな人々のために一生を費やしてしまうようなものではないでしょうか。それがどんな実りをもたらすのでしょう。けれども、それが「美しい」ものであり、良い人生だとイエス様は言ってくださるのです。
さらにイエス様は8節で「この人はできるかぎりのことをした」とも語ってくださいました。「前もって私の体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」のでした。こんなことをしたからと言って、イエス様の十字架の死を阻止できるわけでもなく、その痛みや苦しみに対しては何の役にも立たないのです。でも、彼女はイエス様のために自分ができるだけの精一杯のことをしたのです。何の役にも立たないかもしれないけれど、できるだけのことをする。それでよいのだとイエス様はおっしゃってくださいます。
列王記下 2章1節~14章
代々の教会は、11月1日を「万聖節」とか「諸聖人の日」として、天に召された先人たちを覚える日としてきました。私たち日本基督教団も、毎年11月の第1主日を聖徒の日として定め、諸教会では永眠者・逝去者記念礼拝をささげてきたのです。
そこで今日は、旧約聖書の列王記からの御言葉に耳を傾けたいと思います。ここにはエリヤとその弟子であるエリシャという預言者が登場してきます。時代的には紀元前の800年代に、今戦闘がやまないイスラエルで活躍をした人たちです。
エリヤは天に召される時が近づいていましたが、弟子のエリシャはどうしても別れを受け入れることが出来ずにいます。しかしその願いもかなわず、エリヤはとうとう嵐の中を天に上っていきます。そのときエリヤの着ていた外套が空から降ってきます。これをエリシャは拾って、少し前にエリヤがその外套をもってなしたこと(ヨルダン川を左右に分けるという奇跡)と同じ行為をい致します。こうしてエリシャは師であるエリヤの跡を継いでゆきました。
同じようなことが私共にもあるのではないかと教えられるのです。私共も愛する人との別れは受け入れ難いものです。しかし召されていくことによって初めて、残された者に引き継がれる外套というものがあるのではないでしょうか。
そもそもエリシャはどうしてこんなにも、師であるエリヤとの別れを拒んでいるのでしょうか。詳しいことを書くスペースがありませんが、要は師であるエリヤのそばにいることによって、後ろ盾を得たいと思っていたのではないかと感じます。
9節でエリヤがエリシャに「わたしがあなたのもとから取り去られる前に、あなたのために何をしようか。何なりと願いなさい」と言うと、エリシャは「あなたの霊の二つの分を受け継がせてください」と答えます。解説書によると、霊の二つの分とは、他の人々と比べて2倍の遺産というような意味だそうです。
今日の場面にはなぜか仲間の預言者集団という存在が度々登場してきますが、エリシャは彼らと比べて2倍の遺産をエリヤから受け継ぎたいと願ったのです。そう願う理由は、エリシャが仲間たちと比べて預言者としての自分の能力や働きに自信がなかったからではないでしょうか。
エリヤは「あなたは難しいことを願う」と言います。仲間と比べて2倍・3倍のものを持つことが、果たしてエリシャをして預言者としての自信を与えるものなのでしょうか。私たちもしばしば同じようなことを考えてしまいますが、人と比べてどうこうということは、結局は傲慢や劣等感しか生み出さないように思います。
エリシャの願いは、エリヤが天に上る途中彼の外套が空から降ってきて、それをエリシャが拾うことで初めて実現しました。外套とは、要は信仰のことなのです。エリヤはこれまで、この外套をまとって辛い預言者としての働きを全うしてきたのでした。今はもうその働きを終えたので、今度はその外套を脱いで後継者に引き継ぎます。私たちも後に続く人々に信仰という外套を引き継ぎたいものです。
創世記 19章から
この創世記19章には、ヨルダン川流域の低地にあったソドムとゴモラという町が滅亡した様子と、そこに住んでいたアブラハムの甥ロトは助かった有様が記されています。これは、原因譚と呼ばれるカテゴリーに属する物語であり、なぜこうした町々は滅び、他方ある者はなぜ助かったかが描かれています。
町々の滅亡そのものは、この地域に起きた大規模な地殻変動によって生じたものです。有名な出来事としては、例えば火山噴火によるポンペイ滅亡があります。神様が直接こうした自然現象を引き起こされたわけではないのです。しかし、聖書を記した人々はこれを単なる自然現象として受け止めることはできませんでした。滅びた者はなぜ滅び、生き延びた者はなぜ助かったのかを問い求め、与えられた答えがここに書かれているのです。
そこでまず、滅亡した理由は、神様がソドムとゴモラに罰を下したからだとあります(15節など)。なぜでしょうか。19章の前半に、神の使いをもてなすロトと、それとは対照的に神の使いを襲おうとする町の人々の様子が書かれています。ここからソドミーという英語の言葉ができましたが、これは同性愛を意味します。伝統的に、同性愛が罰せられたのだと解釈されてきましたが、果たしてそうでしょうか。
私は、町の人々が侵入してきた不審者を生かしておこうとしなかったのだと受け止めます。町々があったヨルダン川流域低地一帯は、「主の園のように、エジプトの国のように、見渡す限りよく潤っていた」(創世記13:10)のです。地下資源も豊富でかつては大国と戦争が起きたこともありました。ですから、住民はよそ者の侵入をいつも警戒していたに違いありません。
神の使いは、アブラハムやロトにこの一帯が滅びようとしていると告げました。それは何らかの形で、町の人々にも知らされたのではないでしょうか。しかし人々はそんなことを真に受けることはしなかったのです。町をのっとる嘘に過ぎないと思ったのでしょう。そうやって、滅びようとする所にそのまま留まったのです。逃げよとの促しに応じることがありませんでした。だから滅びたのです。
私たちにも同じことが起きるのです。私たちが喜んでそこに住んでいる、瑞々しく潤っている生活があります。私たちはそれを守ろうと必死です。でも、どうしても避けることのできない形で(それが、突き詰めれると神様の御業ということです)滅びるということが起きるのです。生き延びるには、滅びるところから離れるしかありません。神様が罰を下し滅ぼしたとあるのですが、むしろ人間自身が滅びを招いたと言うべきです。
ロトが助かったのは、ためらいまどいつつも、逃げよという神様の促しに従ったからでした。ロトは山にまでは到底逃げることはできないので、もっと近くの小さな町に逃げさせてほしいと頼み許していただきます。
「命がけで逃れよ」とは、もともとは「命を救うために逃げよ」という意味だそうです。生き延びるためには逃げなければならないときがあるのです。逃げてゆけるための山や小さな町が必ず備えられているのです。これまでの生活から比べれば、本当に小さな町かもしれませんが、逃げるべき所はあるのです。
イザヤ書55章8節~10節
年齢を重ねてゆく私共にとって、何よりの支えとなるのは、その歩みが敬老祝福という文字に現わされているように、祝福に満ちたものと思えることです。そのために大事なことは何かを、今日の御言葉から教えられます。
齢を重ねる私共の人生は、しばしば私たちの思い願っていた道とは大きく異なることがあります。まさかこんなことが自分や家族に起きるとは、と思うのです。
そんな私たちに今日の御言葉は、そのように違うのは、神様が私たちのためにと思って備えられた道が私たちの思いや願いとは異なるからだ、と告げてくださいます。同じイザヤ書の57:18に「わたしは彼の道を見た。わたしは彼をいやし、休ませ」とあります。私たちの願った道とは違うものであっても、神様には私たちの進むべき道がちゃんと見えているのです。その道は私たちを休ませてくださるものです。ですから、まさかと言う道を歩むことを嘆く必要はありません。
神様が私たちのために備えられる道が、どのような特色を持っているかが、10節で雨や雪が天から降る有様にたとえられています。その特色は、何よりも降るということにあるのです。10節に「むなしく」という言葉がありますが、それは一見すると雨や雪が天から降ることは空しく見えるからでしょう。しかし決して空しいものではありません。雨や雪が天から降るからこそ、大地は潤い、人に種や糧を与えます。
神様が私たちに備えてくださる道も同じだと、今日の御言葉が教えてくださるのです。雨や雪が天から降るように、私たちも降るのです。それは、降りることであり下り衰えることです。でもそんな人生だからこそ、誰かを潤し与えることができるのではないでしょうか。
降りる人生は、ただ人様のお世話になり与えられるばかりで、到底与えることなどできないと思ってしまいます。そんな人生は空しいのではないかと嘆きます。でもそうではありません。降りる人生だからこそ、潤し与えることができます。
「ぼけますから、よろしくお願いします。」という映画の監督で同名の著書の作者でもある方が、認知症になった母を看取る体験の中でこんなことを語っておられました。親がその最後の姿を子供に見せることが、親が子のためにする最後の子育てだと。
本当にそう思います。最晩年に認知症になり、一時は精神病院の閉鎖病棟に入らざるを得なくなった父の姿を通して、私も与えられることがあります。降りる者は必ずやそばにいる者をしていろんな涙を流させるものです。後悔や申し訳なさが残ります。でもそれが、降りる者が残された者に与える潤いや糧ではないでしょうか。
与えるというのは、降りる者が周りの者に対してのことであり、降りる者自身が何かを得るのではありません。降りていく者の人生が空しくはならないとは、自分が得ることによってではなく、他者に何かを与えることにおいてなのです。
イエス様のご生涯も、人となり十字架の死に至るまで降りられたものでした。それが私たちに生きる糧を与えてくだったのです。
コリントの信徒への手紙一 3章1節~13節
ここは、しばしば「愛の讃歌」と呼ばれる箇所です。私の好きなシャンソンに同名の名曲があります。
今日の御言葉で何より心を寄せたいのは13節です。「信仰と希望と愛、この3つはいつまでも残る」とまずあります。いつまでも残るというのですから、別の言い方をすれば「いつまでもなくならない」という事です。
では、果たして私たちが抱く信仰や希望や愛というものは、いつまでもなくならないと言えるでしょうか。私たちの信仰はしばしば砕けてしまうことがあり、希望を抱けなくなることもあり、夫婦愛でさえもしばしば破れてしまうものです。ですからここでの信仰や希望や愛というのは、実は、私たちが抱くものではなくて神様が私たちに対して抱いてくださるものだと思うのです。
まず神様は私たちに対して、いつまでもなくならない信仰を抱いてくださるのです。私たちをどんなことがあっても信頼してくださるということです。なぜそんな大それたことが言えるのでしょうか。私たちなど到底信頼に値しない者ではないでしょうか。
神様が私たちを変わることなく信頼してくださるのは、そこにイエス様という方が介在してくださるからです。私たちと神様との間にはイエス様が介在してくださり、言わばイエス様が保証人のような存在なのです。たとえ私共が不実なことをしても、イエス様が保証人となり執り成してくださいます。イエス様が保証人となって成立しているのが、私たちと神様との契約関係なのです。
こうした神様との固い絆に結ばれているので、私たちから希望がなくなるということはありません。自分では、今や将来に対して希望が持てないということがあるのですが、神様との固い絆にある私たちには希望がなくなることはないのです。
どんな将来の希望があるかについて、今日の10節あたりから12節までの御言葉が語っています。完全なものが来るとあります。
それは成人したときのようであり、また神様と顔と顔を合わせてお会いするときのようだと譬えられています。成人した際には、幼子だったときの楽しみや心配はどこかに行ってしまっているものです。私も幼いときには両親のケンカをとても怖がり恐れたものですが、自分自身が大人になり夫婦となってみるとそんな恐れはなくなってしまいました。
ぼんやりとしか像が映らない鏡で見ているときには、様々なことについてわからないゆえの心配があったものですが、神様と顔と顔を合わせてお会いしたときには、そんなものは氷解してしまうのです。神様がすべてのことを教えてくださるからです。そのように「完全なものが来る」時が到来するのです。それが私たちの希望でありましょう。
このように神様は私共への変わらない愛を注いでくださるのです。このような神の愛を注がれている者として、まず自分自身を愛してゆきたいと思います。他人が自分を愛してくれることを強制はできませんが、自分で自分を愛するのは誰にも妨げることはできないのです。神様が私たちを愛してくださって愛をもって、愛する者でありたい。
コリントの信徒への手紙一 12章12節~27節
ここには、数えてみると20回近くも「体」という言葉が使われています。これだけ沢山「体」という言葉を使って、パウロさんが言わんとしているのはどういうことでしょうか。
まず第一は、「あなたがたはキリストの体だ」ということです。「教会はキリストの体」だとよく言われますが、これは文字通りではありませんが、イエス様があたかも体をもって、教会という人々の集まりの中にご臨在しておられるかのような状態ができるということだと思います。
ではそれは、教会の集まりがどのような状態にあるときでしょうか。同じ第1コリント11章24節に「これはあなたがたのためのわたしの体である」というイエス様のお言葉が書かれていました。これはイエス様が弟子たちとの最後の食事の席で、パンを配りつつ言われたお言葉です。この言葉を私たちは、聖餐式の時にいつも聞き続けてきました。
誕生したばかりの教会は、ローマ帝国の犯罪人として死刑になったイエスという男の、生き血を飲み肉を食べている邪宗の輩として見なされていたそうです。聖餐式を守っているときの教会は、まるでイエス様の体を食べているかのように見えたのです。ということは、教会が「キリストの体」であるのは、他のどんな時でもなく「これはあなたがたのためのわたしの体」と言われたイエス様の犠牲をいただいている時なのではないでしょうか。
第二のポイントは、私たちは「キリストの体」の一部分であってよいという事です。前任地の筑波学園教会で受洗準備会をしていた時のことです。ある方がこんな感想をもらされました。洗礼を受けてキリストの体の属するとは、そのごく一部であってよいのだと教えられとても慰められたと。その方は家庭でも自営業をしている仕事でも、オールマイティの働きを求められていてとてもお疲れだったのです。だからごく一部であってよいという事にとても慰められたのでしょう。
イエス様は「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と言われましたが、私たちはぶどうの幹であるイエス様につながる枝々として、幹である必要はないのです。
枝であることの最大の働きとは、幹から栄養をただただいただくことではないでしょうか。牧師としての私の働きも、2000年間続く全世界の教会のごく一部を果たせばよいのだと思うと、とても気が楽になります。
最後のポイントは、キリストの体であるがゆえに「弱い部分がかえって必要」という事です。「お前は要らない」という言葉が何度か引用されていますが、これは実際にコリント教会のある人々が仲間から言われていた言葉なのだろうと思います。私たちもつい自分自身や家族に「弱いお前は要らない」と言ってしまいます。
でも「キリストの体」である限り決してそんな事はないのです。幹であるイエス様は、弱っている枝の為にこそ栄養をあげたいと思ってくださるでしょう。牧師は弱い会員があればこそ一層祈りが強くなるものです。
「キリストの体」であるという事は、弱い者であればこそ貴いとされる事なのです。こんな集まりがこの世のどこにあるでしょうか。
創世記 15章1節~6節
まず1節に、神様がアブラハムに次のように言われたとあります。「恐れるな、アブラハム。・・・あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」と。この神様からの語りかけは、今アブラハムが何らかの恐れを抱き、また人生の報いについて悩んでいたことを示唆しているのだと思います。
1節書き出しの「これらのことの後で」と、いう言葉が、アブラハムの心境を物語っているのでしょう。「これらのこと」というのは、14章に書かれていた出来事を指しています。バビロニアを含む中近東一帯の大国連合と、パレスチナ一帯の小国連合との間に争いが起き、小国のひとつソドムに住んでいたアブラハムの甥ロトがそれに巻き込まれて捕虜になってしまいました。アブラハムは300人ほどの手勢を連れて大国連合と戦い、見事ロトを助け出したのです。
そうした勝利や報いがあったのですから、どうして恐れる必要があったでしょう。しかし示されるのは、勝利したからこその恐れではなかったかということです。アブラハムが危険を冒してロトを救出したのは、彼が再び自分のもとに戻り跡継ぎになってくれるのを期待したからではないかと想像します。でもその通りにはなりませんでした。跡継ぎは与えられないままだったので、奴隷のエリエゼルを後継者にしなければと考えました。今アブラハムが望んでいた報いとは、他でもなく跡継ぎが与えられることだったのです。
私たちも、自分が願う報いというものを手に入れようと様々な戦いをなし、時には勝利を得ることもあるのです。けれどもなかなか願った通りの報いは与えられません。そこでアブラハムが自分の考えでエリエゼルを跡継ぎにしようとしたように、私たちも、望んだ報いの代わりに代替品のようなものを手に入れようとするのです。
16章でアブラハムは、自分付きの女奴隷だったハガルとの間に跡継ぎを得ようとします。しかしそれによって家庭が崩壊しそうになりました。戦いに勝利して、願い通りのものを得ることが私たちの人生の報いなら、私たちは恐れを抱くしかありませんし、間違った報いを手に入れてしまうのです。
そんなアブラハムに、神様は4節のお言葉をかけられます。「その者(エリエゼル)があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が後を継ぐ」と。この時アブラハムと妻サラは、間もなく100歳と90歳になろうとしていました。長い間実子を授かることがありませんでした。こんな老夫婦から子供が生まれると言うのでしょうか。そんなことがあり得るのでしょうか。神様がくださる報いとは、私たちが戦いに勝利したりまた自分の企てで得るものとは全く違います。老夫婦には考えもつかない報いでした。
さらに神様は「天を仰いで星を数えてみよ」と言われます。昼の明るさの中では見えなかった星が、夜の闇の中では数え切れないほど見えてきます。たとえ私たちには見えなくとも、ちゃんと神様が備えていてくださる報いというものがあり、跡継ぎというものがあるのでしょう。私たちは、たとえ老いているとしても、必ずや何かを生み出せる者なのではないでしょうか。
マルコによる福音書5章25節~34節
今月もまたマルコによる福音書からお勧めを記します。
12年間も不正出血で苦しんでいた女性がいました。多くの医者にかかりましたが一向に良くならず、かえって財産を使い果たしてしまいました。きっとワラにもすがる思いだったのでしょう、イエス様の服にでも触れればいやしていただけるかもしれないと、群衆に紛れてイエス様の後ろから近づき服に触ったのでした。すると病気が癒されました。イエス様はわざわざその女性を探し当て、「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。
「あなたの信仰が」とイエス様は言われましたが、誰もが、果たしてこの女性が抱いているものは「信仰」と言えるようなものかと思うのです。先日、長野の善光寺からある像が盗まれたと報じられましたが、その像は自分の体の具合が悪い箇所と同じ部分をなでると治ると信じられていたそうです。いわゆるご利益信仰なのです。この女性の信仰も同じものでしょう。でもイエス様は、そのような信仰があなたを救ったのだとおっしゃってくださったのです。あなたの抱いているのは到底信仰とは言えない代物だから、出直して来いなどとは言われませんでした。
勿論、イエス様はご自分と彼女との関係がそれだけのもので終わってしまうのはお望みにはならなかったのでしょう。だからこそわざわざ彼女を群衆から探し出し、お言葉をおかけになったのでしょう。こんな私のワラにもすがる思いを信仰とさえ言ってくださる方に、彼女はすっかり捕らえられてしまったに違いありません。そこから彼女の信仰が始まっていきます。でもそのスタートはイエス様に癒していただきたいという思いなのです。信仰の始まりもそうですが、実は終わりもそこにあるのではないでしょうか。
彼女の信仰と比べれば、私たちは曲がりなりにもイエス様の十字架や復活を信じられる者にはなっています。でも、本質は何も変わらないのではないかと感じます。彼女が群衆に紛れてイエス様の後ろから近づき、服の上からイエス様に触ったのと同じように、私たちとイエス様との間にもいろんな「群衆」や「服」というべきものがあるのです。2000年の時間の隔てや、聖書を通してしかイエス様に触れられないという隔てがあるのです。
むしろこの女性は、こんな形ではあっても彼女は直接イエス様にお会いできていますが、私たちはそうではありません。むしろ彼女以上に、群衆に紛れてイエス様の後ろから、服の上からしか触れない者なのかもしれません。でも、そんな私たちでも、信仰によってイエス様に触れさせていただきそれが私たちを救います。
多くの医者にかかっても一向によくならず、それどころか財産を使い果たしてしまったというところに、何か今日の医学のあり様を見るような思いがします。結局のところ医学も科学も人間が作り出した助けに過ぎません。それに頼れば頼るほど一向によくならないという現実に私たちは直面するのではないでしょうか。私たちを救うのは人間を頼る事ではなく、神様を頼る信仰なのです。「信仰はあなたを救う」のです。どのようなささやかな信仰であってもです。
マルコによる福音書4章35節~41節
まず35節はじめに「その日の夕方になって、イエスは『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた」とあります。ガリラヤ湖は対岸まで約10キロ位はあるでしょうか。そんな大きな湖を、もう夕方になっているのに小さな舟で渡るというのは奇妙なことです。イエス様は何か思いがあって、このようなお誘いをなさったのです。
それは、36節以下に書かれているような体験を弟子たちにさせるためです。ペトロという人をはじめとして、彼らの何人かはこの湖で小さいころから漁師をしました。湖のことは隅から隅までわかっていると思っていました。でも今までしたことのなかったような怖い体験をするのです。イエス様に助けを求め、助けていただくという体験をするのです。
「夕方になって」とは、私共の人生の夕暮れ時を意味するように感じます。もう晩年になっているのですから、穏やかに心静かに暮らしたいと思うのです。しかしイエス様はそれをお許しにはならないようです。私と一緒に舟に乗り、向こう岸へと渡ろうと誘われます。その中で、これまで味わったことのなかったような難儀な体験をせざるを得ないのです。
先月号の月報にも書きましたが、2月にぎっくり腰になり何日間か、自分では靴下もタイツもはけない日々を味わいました。これが介護されることだと、まだまだその序の口ですが体験しました。こうやって私共は、人生の夕暮れ時に、穏やかとか心静かにということとは正反対の境遇に置かれることになるのでしょう。でもそれがイエス様の御心なのです。
こうして舟に乗り込んで漕ぎ出しますと、激しい突風が起こり舟は沈みそうになったのです。弟子たちは、イエス様が一緒に乗っておられるのにどうしてこんな事が起きるのかと思ったかも知れません。私たちも、信仰者として言わばイエス様と一緒に舟に乗っている人生なのに、どうしてこんな辛いことが起きるのかと思うことがあります先日教えられたアブラハムもそうでした。
生まれ故郷・父の家を出る彼に神様は、何度も何度も「わたしはあなたを祝福する」と約束くださったのでしたが、現実は祝福されているとは程遠いものでした。ではアブラハムは祝福をいただいていなかったのでしょうか。そうではなかったのです。難儀な歩みが続いたからこそ、彼は行く先々で神様を礼拝したと書かれています。辛いことがあればこそ、神様に祈り助けを求めそれをいただけるのです。それが祝福という事です。
舟が沈むかもしれないとの状況下でも、イエス様は静かに眠っておられたとあります。舟は決して沈まないから大丈夫だとわかっておられたのです。先達たちは、教会をしばしば舟にたとえてきました。教会はこれまで何度も沈んでしまうかもしれないという嵐にぶつかってきましたが、沈むことはありませんでした。教会の主(あるじ)であるイエス様は静かに眠っておられます。
イエス様は教会の主であるばかりではなく、私たちの主でもあられるのです。私たちが恐れあわてる時でも、イエス様は静かに眠っておられます。この方に私たちの安心があります。嵐をくぐり抜けて、私たちも教会もどんな新たな向こう岸に着けるのでしょうか。
創世記 12章1節~4節
アブラハムという人は、キリスト教徒だけではなくユダヤ教やイスラム教を信じている人々にとっても『信仰の父』として崇められている人です。彼から私たちはどんな信仰の遺産を相続しているのでしょうか。そのことを今日はお勧めしたいと思います。
まず1節を読みますと、アブラハム(正確にはまだここではアブラムですが)は神様から「生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい」と言われたとあります。なぜ彼は、この時期に、またこのような神の言葉を聞いたのでしょうか。
そのヒントになるのは、直前の31節に記されていることです。そもそも今のイラク辺りにあったカルデアのウルを出発して、今日のパレスチナ地方であるカナンを目指して旅立ったのは、アブラハム自身ではなくお父さんのテラだったとあります。しかしテラはカナンに向かうことなくなぜかハランというところに留まり、そこでテラは死んでしまったのです。
父が死んで息子のアブラハムは、自分たちはこれからどう歩むべきかを真剣に悩んだのではないでしょうか。そこで初めて神様という方に向かって祈り問い求めたのではないでしょうか。はたして故郷のカルデアのウルを出たのは正しかったのか。このまま父が留まったハランに居続けるべきか。
それともカナンを目指すべきかと。このようなアブラハムの問い求めに、神という方は現れて言葉をかけてくださったのです。
神の答えはまず、あなたが生まれ故郷を出たのは間違いではなかったということでした。それはわたしの示す地に行くということで正しいのだと。また、「父の家を離れて」というのですから、テラが留まったハランからも離れるのが正しいのだと。そこでアブラハムはカナンを目指すことにしたのでしょう。
さて、私たちにとって、生まれ故郷・父の家を離れるということは何を指しているのでしょうか。私は最近何冊も続けて認知症に関する図書を読んでいますが、それは私自身がいつかはたどらねばならない道だと思っているからです。認知症になれば、それまで私たちがずっと拠り所にしてきた家や環境また人々とのつながりを、手放さざるを得なくなります。私たちは一体どうやってこの辛い出来事を受容できるのでしょうか。それをできるようにしてくださるのが、この信仰の父であるアブラハムへの神様のお言葉なのだと示されます。生まれ故郷・父の家を離れることが、即ちわたしの示す地に行くことなのだと神様は語ってくださるのです。
こうおっしゃった後でさらに神様は続けます。「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福する」と。2節から3節の短い文章の中に、数えると何と5回も祝福という言葉があるのです。生まれ故郷・父の家を離れるという神様の示す道には、5回も繰り返される祝福の約束が伴っているのです。年齢を重ね病み、様々なものを手放してゆく歩みは、決して恐ろしいだけのものではないのです。そうではなく祝福が幾つも伴っているのだと神様はお約束くださいます。「わが行く道、いついかになるべきかは、つゆ知らねど」との讃美歌通り歩んでいきましょう。
マルコによる福音書4章1節~9節
今日の御言葉は、福音書に書かれたイエス様の多くの譬え話の中でも一番よく知られたものかも知れません。譬え話ですから、その受け止め方は実に様々です。
4章13節以降に、この譬え話の説明というものが書かれていますが、おそらくこれはイエス様が元々お語りになったものではなく、初代教会の信徒たちの譬え話についての解釈ではないかと考えられています。譬え話そのものの主人公は種蒔く人(神様)ですが、この説明では専ら種が蒔かれた土がどうであるかに焦点が当たっています。
種とはイエス様が救い主であるとの福音のことですが、初代教会の人々は蒔かれた種がなかなか芽生えず成長しない現実に悩んでいたのでしょう。その理由を種が蒔かれた土のあり様に見いだしたのです。でも、中には良い地もあって沢山の実を結ぶものもあるから安心しなさいとの励ましを受けたのです。こうした受け止め方も間違いではないでしょうが、イエス様本来のお気持ちとは少しずれているように感じます。
さて、今から2000年前の時代の種蒔きはどのようになされたのでしょうか。耕作地とそうでない土地とがはっきり区分けされていたわけではなく、降った雨で自然にドロドロになった土地にとても大雑把に種が蒔かれたようです。だから地面には、普段は人が歩く道もあり、石が多いものもあり、茨が深く根をはっているところもありました。でも種蒔く人はそんなことに無頓着です。いちいち気にしていたら広い範囲に蒔けないでしょう。そのため無駄になる種も多かったのです。それでもちゃんと沢山の実をつけるものがあったので、種蒔きは途絶えることなくなく続けられてきました。
この譬え話が一番教えようとしているのは、神様というお方が、こんな風に無駄を恐れずに福音の種を蒔いておられるということだと思います。ある人が、福音伝道の大部分は失敗だということがこの譬え話の核心だ、と言われていました。神様がそのように種蒔きをしようとしておられるのに、実際に福音伝道を担っている私たちが、無駄を恐れ成功ばかりを願って種蒔きをしているのではないでしょうか。13節以下の説明には、そんな信徒たちの気持ちが滲み出ています。
最近の福島地区教師会でいつも話題になるのは、これから5年後10年後の牧師招聘のことです。ひとつの教会でひとりの牧師を招くことは益々無理になっていきます。それをするには各個教会の力が足りないのです。
これがこの地で100年以上種蒔きをしてきた結果です。何が悪かったのかと原因捜しをしてしまいますが、そもそも福音伝道の種蒔きとはこういうものだと神様がお考えなのです。
それにつけても、神様はなぜこのような種蒔きをされるのかと考えさせられます。蒔かれた種の発芽や成長・結実は、土まかせ・自然まかせです。種蒔く者の思いや企てを越えています。だからこそ、無駄を越えて実りがあるのではないでしょうか。伝道は私たちの小賢しい計画や企てを越えているのです。失敗や無駄を恐れずにこつこつと種蒔きをしてゆけばよいのではないでしょうか。
創世記 6章から8章
創世記の6章から8章(もしくは9章)までは、ノアの箱舟と呼ばれる物語が描かれています。6章6節以下に、「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められ・・・(人を)地上からぬぐいさろう」と言われたとあります。そのために地上に大洪水が起こり、結果として箱舟を作ってそれに乗り込んだノアの家族と生き物しか生き残ることが出来ませんでした。このことを私たちはどう受け止めたらよいのでしょうか。
前任地の筑波学園教会で、ある匿名の信徒さんからお手紙をいただいたことがありました。その頃はまだ東日本大震災から半年位しか経たない時で、あの大災害を人間に対する神様からの裁きなのだとの受け止め方が散見される時期でした。これに対してこの方は、もし神様が自ら大洪水や津波を引き起こして人間を滅ぼそうとされるお方なら、もう私は神を信じることができないと訴えられました。
わたし自身はこのノアの箱舟の物語をどのように理解するのでしょうか。この物語が文書として編纂されたのは、著者であるイスラエル人がバビロニアによって祖国を滅ぼされ、今のイラク辺りにあった地域に捕虜として抑留されていた時代であったそうです。彼らの前には、チグリス・ユーフラテス川による大洪水の伝承が有りました。イスラエルの人々はその出来事を、単なる自然災害としてではなく、天地の創造者である神様による人間へのまことに厳しい応答として捉えました。人間は巨人のようになって悪ばかりを企てているので、それに心を痛めた神様はこの世界の創造者としての責任を果たそうとなさるのです。それが大洪水として現れたという受け止めです。
神様がこういう事をなさるということは、確かに一方では先ほどの匿名の信徒の方のように、神様への躓きを生じさせるでしょう。しかし生じるのは躓きだけでしょうか。むしろ希望が生まれて来るのではないかと私は思うのです。というのは、このような捉え方の根本にあるのは、今も言ったように神様がこの世界の創造者であり主人公だという信仰なのです。人間が主人公となって好き放題に悪を企ててもよい世界ではないのです。悪を企てる人間に対して神様が戦って下さいます。侵略戦争を起こす王様を今なおどうしようもできない私たちですが、神様はいつか必ずそれに打ち勝って下さるのです。そこにこそ、この世界を生きてゆく上での私たちの希望があるのではないでしょうか。
私は神様ご自身が洪水や地震や津波を直接引き起こされるのではないと思います。それらはあくまで自然現象でしかないのです。しかしそれを用いて神様は悪を企てる人間に戦われます。この世界を再び良いものへと作り替えようとしてくださいます。
神様の御心は、洪水によって人間を絶滅されることにあるのではなく、むしろ洪水を用いて人間を新たにされることにあるのでしょう。そのための助け舟が箱舟だったのです。大洪水の兆しなどどこにもないのに、莫大なお金をはたいて箱舟を作り、またそれに乗り込んで漂流するのです。とても愚かに見えます。私はこの姿に原発事故後避難せざるを得なかった福島の方々のことを重ねます。漂流することが実は助け舟でもあったのではないでしょうか。生き延びるための箱舟なのです。
ルカによる福音書 1章26節~38節
天使ガブリエルがマリアに告げる「アベ・マリア」の「アベ」とは、ラテン語でおめでとうという意味だとある時知りましたが、その告知はマリアにとって決して文字通りおめでたいものではありませんでした。ヨセフとはまだいいなずけの段階であり、そんな自分が身ごもったということはとんでもないスキャンダルであったのです。
同じような場面を記したマタイによる福音書では、ヨセフにスポットライトを当てて描いていますが、ヨセフは「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」(マタイ1:13)とあります。
マリアも「どうしてそのようなことがありえましょうか」と戸惑っていますが、同じような応答があったことが、ルカによる福音書の少し前に書かれています。マリアの思いがけない妊娠の半年ほど前に、彼女の親戚だったエリサベトが不思議な形で身ごもっていました。彼女の夫はザカリアと言いましたが、この夫婦はもう年取っており通常ならこどもが授かるような年齢ではありませんでした。妻の妊娠を告げられたとき、夫ザカリアはエルサレム神殿に仕える祭司として、ある晴れがましい務めを果たそうとしていましたが、そのさなかに天使ガブリエルから子の誕生を告げられ、恐怖にかられそれを信じることができず、口が利けなくなってしまったのです。
このように、神様から「アベ・マリア」と言われることは、私たちを当惑させ、恐れを抱かせ、口を利けなくするような出来事として
現れるものだと示されます。だとしたら、もしも私たちにそのような事が起きたなら、そこには「アベ・マリア」と天使から告げられることが生まれつつあるのだと受け取ってよいのではないでしょうか。
マリアは「どうしてそんなことがありえましょうか」と言いつつも、最後には「お言葉通り、この身に成りますように。」と天使ガブリエルに答えています。「この身」という言葉に私の心はいつも引き寄せられます。その身とは、マリア自身が「わたしは男の人を知りませんのに」と語っているように、通常なら決して妊娠するような状態ではない身体でした。
27節に「おとめ」とありますが、これは処女という意味だけではなく未熟という意味もあるということです。マリアの身には、いろんな意味で未熟な部分がありました。子を宿すにはまだ足りず、ふさわしくないものもあったのです。実は古来から、マリアが身ごもった子どもは、誰が父親かわからないような者だとのうわさが絶えなかったそうです。しかしそのような身にご聖霊は降り、そんな「身を」用いて神様はイエス様を誕生させたもうのです。「だから、生まれた子は聖なる者、神の子と呼ばれる」とあります(35節)。
それならば、神様は私たちの身をも同じように用いられ、聖霊が降って私たちの身も何か聖なる者を生めるのではないでしょうか。それは勿論イエス様を生むということではありませんが、例えば私たち自身が信仰者として生まれるということでもあるのです。
もう老人になっていたザカリアとエリザベト夫婦が用いられていったように、未熟だったマリアの身体が用いられていったのです。
その身体からイエス様が誕生なさいます。それと同じように、私たちの身体も用いられて何か良いものを生み出してゆけるとは、嬉しいことです。
詩編126篇5節・6節
実際の光景として考えると、涙と共に種を蒔くというのは尋常ではないものです。農家の方にとって、種蒔きや田植えの時というのは、秋の収穫ほどではないにしても、一年の内で最もおめでたく嬉しい時ではないでしょうか。ところがこの詩編は、その嬉しいはずの種蒔きを涙と共になすというのです。
おそらくこれは比喩的な表現として受け取れば、よくわかってくるのです。この詩編の1節に「主がシオンの捕らわれ人を連れ帰られる」とあります。「シオンの捕らわれ人」とは、紀元前6世紀にイスラエル人の祖国がバビロニアによって滅ぼされ、生き残った人々が捕虜として連れて行かれた事を指しています。
普通なら、それでこの民族の命運は尽きるはずでした。ところがイスラエル人の場合はその逆だったのです。「主が・・・連れ帰られる」とは、ただ祖国に帰還することだけではなく、イスラエル人が以前にも増して信仰を深くされて帰ることを意味していました。
たとえばその深くされた信仰とは、私たちが今聖書として読んでいるその一番はじめ(創世記1章1節)の、「初めに神は天地を創造された」という言葉に如実に現れています。この文章はイスラエル人が「捕らわれ人」にされたさなかまとめられたものです。
征服者は多くのものを破壊し奪いました。しかし神様が創造された天地やその営みをイスラエル人から奪うことは決してできませんでした。創世記1章では何度となく「夕べがあり朝があった」と繰り返されます。天地自然の営みまでも征服者はイスラエル人から奪うことはできません。それによってイスラエル人は励まされました。生き延びることができました。こうした信仰がこの聖書の最初の言葉には込められているのです。
このような信仰を得たことが、喜びの歌と共に刈り入れるということだったのです。この収穫は、涙を流すという苦難がなければ得られなかったものです。そういう意味で、沢山の涙を流したことが実は種を蒔くことだったとこの詩編は言っているのです。
私共の人生はすべてそういうものです。涙を流すことがなければ種は蒔かれず収穫は得られないのです。私自身今手にしている収穫はすべて、牧師として涙を流す体験の中で与えられたものです。皆さんもそうではないでしょうか。
よくよく考えてみますと、種が蒔かれ発芽するということは実に不思議なメカニズムです。種が種のままであれば、それこそ1000年でも生き続ける事ができます。固い殻で頑丈に守られているからです。しかしいかに1000年永らえても、種が種のままでいることは種本来の目的とは違うのでしょう。種は地に落ちてそこで腐り、したがって種としてはその存在がなくなってはじめて、土などからの作用を受けて発芽し、成長してゆくようになるのです。
種蒔きに涙が伴うのは、種としての私たちがこのように殻を破られ地に落ちて死ぬからです。種としての自分を手放さざるを得ないからです。そこには涙が伴います。しかしそうしなければ種は一粒のままなのです。固い殻に閉じ込められたままです。老いることがあり病があり死があります。種としての私たちが地に蒔かれ破られる時です。ですから涙を流します。しかしそれは喜びの収穫へとつながる時なのだと受け止めましょう。
コリントの信徒への手紙一 3章4節~9節
コリントの教会の中に「わたしはパウロにつく」とか「わたしはアポロに」という争いがありました。ギリシャ語の原文を読むと、そこには「エゴー・エイミー」という文章がありました。エゴという言葉はそのまま日本語にもなっていますが、自分に洗礼を授けてくれた先生が誰であるかによって、「わたしは・わたしは」と張り合うようなことをしていたのでした。
コリント教会の人々の多くは奴隷階級の人達でした。彼らは自分自身には何も誇れるものがなかったので、自分が誰それという主人に属する奴隷であることを誇ったのでした。それがクリスチャンになっても習い性として出てしまうのです。パウロやアポロ先生から洗礼を受けて、自分はその子分であるというようなことを誇っていたのです。
こんなコリントの人々に、クリスチャンの誇りとはどういうものかについて、この手紙の著者であるパウロは教えようとしています。
5節に「仕えた者です」とありますが、ここの原文にはディアコニアという言葉が使われています。それは僕(しもべ)とか召使いという意味です。クリスチャンとは神様・イエス様のディアコニアだとパウロは言うのです。
さて、召使いにとって一番大事なことは何でしょうか。それは主人から与えられた務めを忠実に果たすことです。以前礼拝で用いていた聖書には、7節に「取るに足りない」という言葉がありました。主人から託された務めを果たすが故に、召使いの働きは取るに足りないものであってもよいのです。大きな働きをする必要はありません。
周囲の人は誰も評価してくれずとも、主人はその小さな働きを認めてくれるのです。クリスチャンは、その点で胸を張れる存在ではないでしょうか。
このディアコニアの働きについて、パウロは7節で「植える」とか「水を注ぐ」という比喩を語っています。私も植物を植えることが大好きですが、毎年春先や冬になる前には教会の庭に飾る草花を植え替えます。1本が100円もしないような花が何ヵ月も咲き続けて、道行く人の目を楽しませてくれます。植え替えるときには「今までご苦労さん」と言ってあげます。
植えるとか水を注ぐとはそういうことではないでしょうか。わずか数百円ほどの草花を植えて日々水を注ぐようなことです。せっかく植え水を注いでも、植え替え時期になればいずれ枯れてしまいます。毎日水をやったことが無駄になったと言うこともできます。しかし大事なのは、日々花が咲き続けたということです。そのために毎日水をやり手入れを致します。結果はどうであれ、毎日のそのような働きが大事なのです。
またディアコニアには、主人のために料理を作るという働きもあるでしょう。家族のために日々なされる家事の働きもそうですが、目に見える積み重ねのようなことがありません。ご飯も洗濯もお掃除も1回1回で終わりです。これがディアコニアという働きの特徴ではないかと感じます。目に見える結果というものがよくわかりません。でも長い目で見ると、その働きによって子供たちは成長し、家族は支えられてきたのです。
牧師の働きとはまさにこういうものだとしみじみ感じます。取るに足りないものです。
目に見える成果というものがわかりません。
でもだからこそのディアコニアではないでしょうか。それを誇れるのが私たちです。
創世記 3章1節~10節
先月に続いて今月も創世記の御言葉からお勧めを致します。というのも、ここに書かれている物語は『失楽園』と呼ばれて昔から絵画や文学などの題材となってきた箇所だからです。きっと皆さんにとっても興味深いところでしょう。
先月取り上げた創世記2章では、最初の女性が男性のあばら骨の一部を取って造られたことが書かれていました。そんなことは荒唐無稽だと思われる方も多いでしょうが、今日の箇所では、今度は蛇が女性を唆して神様が食べてはいけないと言われた木の実を食べさせてしまったとあるのです。蛇がそんなことをするとはどういう意味でしょうか。そもそも神様はどうして、せっかくの楽園(エデンの園と呼ばれます)に「食べると死ぬ」ような危険な木の実を生えさせられたのでしょう。どうしてそこに蛇がいるのでしょう。次から次へと疑問は尽きないのです。
さて、楽園には食べてよい木の実をつける木があり、その中に命の木の実と善悪を知る木の実をつける木もあったのでした。それはこんなことを意味していると私は理解します。すべての生き物の命を支える糧は、そうした木の実を食べることで私たちの外から与えられるのです。人間でさえ自分を生かす命の糧を自分自身の内側から生み出すことはできないということです。
これは、生き死を司ること(それが命の木の実の意味です)も、それとからんで何が善・幸いで何が悪・不幸かを知ることも同じです。外からのみ知られるのです。神様だけがそれを司り何が善悪・幸不幸かを教えてくれます。普通の木の実は思い通り食べてもよいのですが、命と善悪を知る木の実だけは勝手に取って食べてはいけません。
それをすると、文字通りに死ぬことはないのですが、しかし生きていても死んでいる以上に辛いことが待ち受けています。それが今日の御言葉の7節以降に書かれているありさまです。
蛇というのは、私たち人間に生き死を思うがままに支配させようとする象徴なのです。エジプトのツタンカーメン王の仮面は全体が蛇ですし、コロナウイルス感染症対策でしばしば報道されるWHOのロゴマークは、杖にとぐろをまく蛇です。蛇とは不老不死の象徴なのだそうです。ですから、人間を唆して生死を思い通りにさせようとする存在として描かれるのです。
ではなぜ女性が最初に唆されたのでしょう。教会はしばしば「女性の方が罪深いから」などと解釈してきましたが、浅はかな理解です。女性とはどんな存在だったかを思い出してください。それは最初の男性アダムの助け手だったのです。彼のあばら骨の一部から造られたゆえに、彼の一番弱い部分また悲しみが詰まっている部分から成る存在でした。助けようとし、また子を産み育てる性だからこそ、生き死を思い通りにしたいと願うのです。そこには愛があるのです。禁じられた木の実を食べたことを『原罪』と言いますが、その罪の根源には愛があります。
こうやって「食べてはいけない」と言われた木の実を食べたのでした。すると自分たちが裸だとわかったのでした。身を守るべく身につけることができたのはいちじくの葉っぱでした。神様の足音を聞くと木の間に隠れます。神様の訪れを恐れるようにさえなりました。自分を土の塵から造ってくださった存在から隠れるようになった私たちなのです。
創世記 2章18節~25節
今日の聖書の言葉は、最初の女性が最初の男性アダムのあばら骨の一部を取って造られたことや、そうやって造られた女性を目の前にしたときアダムは「これこそ私の骨の骨、肉の肉」と喜んで、ここに最初の夫婦が成立した様子が描かれたものです。
女性が男性の体の一部から造られたという事は、女性にとってはまことに屈辱的なことかも知れません。第一それは、母の胎内でまず女性が作られその後ホルモンの作用で男性へと変化してゆくという科学的事実にも反しているのです。この聖書の言葉をどのように読んだらよいでしょうか。
2章18節に「人は独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と神は言われたとあります。そこまでのところを読むと、最初の人アダムは食べ物にも仕事にも事欠くことがなかった様子が記されていました。文字通りには、どこにも「独りでいて良くない」といわれるような姿はないのです。では神様が良くないと言われるのはなぜでしょうか。それは彼に助ける者がいないからなのです。もっと言えば、彼が助けられる者になっていないからです。人間は助けられる者になってこそ良い存在なのだと神様はお考えです。
では、アダムを助ける存在はどのように造られたでしょうか。それは彼のあばら骨の一部を取って違う性の存在を造ることによってでした。なぜ他の部分ではなくあばら骨の一部なのでしょう。そこは私たちの感情、特に悲しみや辛さが蓄えられる場所だとされます。また人間の骨の中ではとても折れやすいのがあばら骨です。女性や妻がそういう部分から造られたということは、彼女たちが男性や夫と悲しみを共有し、男性の一番弱い部分を担う存在であるのを表しています。そんなパートナーがいてこそ、私たちは助けられるのです。同じ骨肉を持つ人がそばにいてこそ助けられます。
25節には「二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」とあり、何も持たない丸裸のお互いを恥ずかしいと思わせないことこそが、助け助けられることなのです。
創世記1章26節以下では、神様が人間だけをご自分に似た者として創造され、男と女とに創造されたとありました。神様が私たち人間だけに刻んでくださったご自分のお姿とは、聖書の一番最初に「はじめに神は天地を創造された」とあることから、創造性ではないかと教えられてきました。その創造性とは、先ほど教えられたような、男女のパートナーシップにおいて助け助けられることでこそ発揮されると示されるのです。文字通りの肉体的な性の違いを持つパートナーでなくてもよいのです。大事なのは、「これこそ私の骨の骨、肉の肉」といえるような間柄であるという事です。丸裸の互いを恥ずかしいとは思わせない関係においてです。ですからたとえ独身であってもよいのです。伴侶を失われた方でもよいのです。だれかと助け助けられる間柄を築けていればよいのです。
「人は独りでは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」との神の言葉を聞きますと、私たちは「助けられる者であってよいのだ」としみじみ思います。助けられる者になることに私たちの良さがあるとは、何と不思議で慰め深いことでしょうか。
コリントの信徒への手紙一1章18節~25節
まず18節に「十字架の言葉は」とありますが、これは23節に「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています」
とあるように、十字架の上で殺されたイエスという方がキリスト・救い主であるとの宣べ伝えのことを指しています。これは、「ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人(ギリシャ・ローマ人のことを言います)には愚かなもの」でした。なぜつまずきであり愚かだったのでしょうか。それは、22節にあるように、「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探す」からです。
「しるし」とは奇跡と言ってもいいでしょう。書き出しの18節に「神の力」とありますが、ユダヤ人は誰よりも自分たちを現実の困難から救い出してくれる神の力・奇跡を求めた人々でした。今からはるか3000年以上も昔、彼らはそうやって奴隷だったエジプトからモーセという指導者に導かれて救い出されたのです。それと同じことを今また願っていました。ところがイエスという方は、救い出すどころかローマ帝国の力によって十字架の上で死刑にされてしまったのです。どうしてそんな存在が救い主・キリストであるでしょうか。ギリシャ人が求めた知恵も、突き詰めれば同じようなものだったのでしょう。
25節に「神の愚かさは人より賢く、神の弱さは人より強い」とありますが、ユダヤ人もギリシャ人も要は神様に愚かさや弱さではなく、強さを求めたのではないかと思います。弱さを打ち消し強さを与えてくれる存在を救い主として求めるのです。これは、こんにちの多くの方々にとっても同様ではないでしょうか。
今いろいろと報道されている旧統一教会という宗教団体の教祖の文鮮明という人は、十字架の上で殺された人間がどうして救い主かと主張しました。イエスは救いに失敗したのであり、自分こそが救世主なのだと言いました。この団体は、様々な手段を使って政治的・経済的・社会的な強さを手に入れ行使しようとします。こうして、強さを手にいれることが多くの人の心を捕らえるのです。
しかし果たして、強さを求め手にいれることは、私たちの救いとなるのでしょうか。この200年間は、私たち人類がそれ以前にはなかったほど、強さを手に入れた時代ではなかったでしょうか。しかしそれが私たちに幸いをもたらしたのでしょうか。何度も繰り返された戦争があったのでした。そのなれの果てとして、今回のロシアによるウクライナ侵略があります。
強さを求めることは、自ずと私たちの弱さを否定することになります。私たち人間はどうしても弱さを背負うしかない存在です。ナチス・ドイツによる強制収容所を生き延びて長く精神科医として活躍されたフランクルという人は、『苦悩する人間』という著書の中で、「人間とはホモ・パティエンス(苦悩する人)」だと言いました。それが人間の本質だとするなら、強さだけを求め弱さや苦悩を否定することは決して私たちの救いとはならないのです。十字架のイエス様が私たちのキリスト・救い主であるのは、この故なのです。ご自分がまず十字架の苦しみを背負って、私たちひとりびとりも十字架を背負えるように励まし支えてくださるのです。私たちは独りではホモ・パティエンスたりえないのです。それをできるように助け励ましてくださる救い主が、十字架のイエス様なのです。
使徒言行録2章1節~4節
今日はペンテコステと呼ばれる礼拝の日です。ペンテコステとは、ギリシャ語で50番目という意味の言葉で、イスラエル人は彼らにとってのお正月である過越の祭(この祭りの中でイエス様は十字架にかけられました)から数えて50日目に、その名の通り『五旬祭』というお祭りを守ったのです。もともとは小麦の収穫祭だったようです。
イエス様の弟子たちも最後の晩餐を守った家で集まって、この祭りを祝っていたのでしょう。すると今日の聖書に書かれているような出来事が起きて、ご聖霊が彼らに注がれたのです。すると弟子たちはとても雄弁にイエス様が救い主だと語るようになり、それによって信じる者が起こされ各地に教会が立てられるようになったのです。そこで代々の教会はこの日を、クリスマス・イースターと並ぶ大切な記念日として守るようになりました。
過越の祭りから数えて50日目に聖霊が注がれたというのは、この使徒言行録を書いたルカという人独自の捉え方です。小麦の収穫のお祭りの中で、このことが起きたと彼は言いたいのです。小麦と言えば私たちにとってはお米の収穫にあたります。1年で一番おめでたい時であり、なくてはならない収穫を与えられる時なのです。ご聖霊を注がれるとはそういうことだとルカは言わんとします。
では、ご聖霊とはいかなる収穫を私たちに与えてくださるのでしょう。それはまず、この出来事が「激しい風が吹いてくるような」現象だったことに現れています。ギリシャ語の原文で「霊」はプニュウマと言いますが、実は「風」と訳された言葉はこのプニュウマと同じ語源からなる言葉です。プニュウマそのものが風という意味でつかわれることもあります。ですから、聖霊とは風と同じような性質・働きをなす存在だと言えるのです。
イエス様がニコデモという人との対話の中で、「風は思いのままに吹く」(この風はまさしくプニュウマという言葉です)と言われましたが、風が思いのままに吹くとは、どんな衝立も障壁もものともしないということではないでしょうか。偏西風は、何千キロも何万キロもの距離を、エベレスト山脈もものともせずに吹いてきて、私たちに四季の移ろいをもたらしてくれます。そのようにご聖霊は、天におられる神様・イエス様とはるか遠くに離れ、また精神的にも肉体的にもいろんな障壁に囲まれている私たちに良いものをもたらしてくださるのです。
もうひとつ、「炎のような舌が」現れるという現象も起こりました。それによって弟子たちはいろんな国の言葉で語り出したとあります。14節以下ではペトロという弟子が、雄弁にもイエス様のことを語り出した様子が書かれています。「炎のような舌」とは、ご聖霊が神様の言葉を弟子たちに伝えて、それによって彼らの心が熱くされたというありさまを言うのです。
神様の言葉を伝える舌とは、具体的には聖書の事ではないでしょうか。私たちは、聖書を説き明かす牧師の言葉を聞いて、それによって心を熱くしていただくのです。老人ホームで数多くの高齢者を見てきた精神科の医師が『80歳の壁』という本の中で、70歳・80歳を越えたらお肉を食べて体温を上げ、また好きなことをして楽しめと言われています。体だけではなく、それ以上に心を熱くすることが不可欠なのです。聖書という舌によってご聖霊が注がれ、心が熱くされるのです。
創世記 1章1節~5節
聖書は、旧約聖書が39巻・新約聖書が27巻ありますが、その全66巻の一番最初がこの言葉で始まっているとは、何と恵み深いことでしょうか。「初めに」とは、原初的とか第一義的という意味で、神様という方は他のどんなお方でもなく第一義的に、創造者なる方だということを言わんとしています。聖書全体を貫いて記されているのは、創造者である神様なのです。
このことにどんな意味が込められているでしょうか。この言葉が文書として書かれたのは、今から2600年程前のバビロン捕囚と呼ばれる時代だとされています。今のイスラエルにあったユダヤ人の国がバビロニア(今のイラク辺りにあった強国です)によって滅亡させられ、悲惨な戦いの揚げ句生き残った人々はバビロニアに捕虜として連れてゆかれました。今ウクライナで起こっているような災禍が、もっともっと大規模に起きたのです。今日の御言葉の2節に「地は混沌であり、闇が深淵の面にあり」とは、そのような現実を指していたのでした。
捕虜とされた人々にとっての希望は何だったでしょうか。それは、創造者なる神様がおられるということだったのです。「国破れた山河あり」という古の中国の詩人の言葉がありますが、祖国もそこで培った生活もすべて破壊されました。でも創造者なる神がおられ、その方が創られた山河はなお目の前にあるのです。「国」とは、おおよそ人の作ったものですが、人の作ったものは壊されていきます。しかし、壊され得ないものがあるのです。それは、創造者なる方がおられ、その方が造られる山河・天地があるということです。
創造者なる神様の御業が、天地において現れています。天地・山河を見れば、そこには創造者なる神の存在を感じ取れます。ですから私共は、人に破壊されてしまった「国」にのみ目を奪われてはならないのです。
コロナ禍が始まって間もなくの春、私は外出もままならないような鬱々とした中、窓の外に見える若葉萌える目の前の公園の様子に心を捉えられました。人間がコロナ・コロナと浮足立っている中、目の前の自然には何の変わりもありませんでした。コロナによって確かに多くのものが破壊されてしまいましたが、それは所詮「国」ではないでしょうか。天地・山河はどこも壊されてなどいないのです。創造の御業にあふれています。
3節以降では、神様が次々と天地を造られてゆくあり様が描かれています。人間の創造はやっと六日目の最後の最後です。私たち人間は、天地の創造がほぼ終わりすべてのお膳立てが整った後に登場し、そこに置かれます。
4節から繰り返し繰り返し、神様はご自分の造られたものを見て「良しとされた」と言われますが、人間の前には、神様が六日の間に造られ「良し」とされたものがあふれています。確かに、バビロニアにとって国もそれまでの生活も自由も奪われてしまいました。しかし、神様が創造された天地は何ら奪われてはいません。良いものは何一つ奪われてはいません。良いものがあふれているさなかに、私共は置かれているのです。
最初に神が語られたお言葉は「光あれ」でした。創造の第一のものは光だったのです。神様が造られた天地を見つめますと、そこに必ず光を見いだします。その方向に進んでゆけばよいと道を示してくれるものが、必ず天地にはあるのです。
使徒言行録20章28節~32節
今日皆さんとご一緒に耳を傾けたのは、パウロという方がエフェソ教会の長老さんたちに語った告別の説教の一部です。私がこの教会の牧師として最初にする説教で、告別の言葉からお勧めするのも奇異だと思われるかもしれませんが、しかしこれはパウロさんが教会形成に責任を待っていた方々にする遺言のようなものなのです。遺言なのですから、教会を建てあげてゆく上で何が一番大事かが語られているのでしょう。この御言葉を通して私も、牧師として何を一番大事に考えてこれから福島教会を牧会してゆくかをお伝えできればと願っています。
そこで、この告別の言葉でパウロさんがまず語るのは、教会とはどのような所かという点です。28節に「神が御子の血によってご自分のものとなさった神の教会」とあります。この言葉によりますと、まず、教会の核心には「御子の血」があるのです。それは、イエス様の十字架の犠牲の死を指しています。神様は、他のどんな目的のためではなく、私たちがこの犠牲に与るために教会をお建てになったのです。
私たちがイエス様という方の血の犠牲をいただくということについて、私は比喩として血液の病気になった私たちが骨髄の移植を受けたり、また輸血をしてもらったりすることを考えます。私たち自身の血液が汚れていたりまた異常があったりするので、私たちは健康な血液をいただいたり輸血をしてもらったりするのです。そのような私たちは病んでいますので、イエス様の犠牲が必要です。病人としての私たちが、イエス様の血の犠牲をいただいて健やかになるために、神様は教会をお建てになったのです。
ですから、私たちはあたかも病人がお医者さんにかかるように、教会に来てよいのではないでしょうか。私は30歳台の時、アキレス腱を切って入院したことがありましたが、病院とは実に不思議な場所だと知りました。そこは一日中パジャマで過ごしていても誰からも怒られないところなのです。文字通り礼拝にパジャマでは来ませんが、しかし病んでいる者であるからこそイエス様の血の犠牲をいただくために教会に来るのです。
そのように教えられますと、29節から30節で「残忍な狼ども」とか「邪説を唱える者たち」がどんな存在かがわかってきます。もしも彼らが、一見してそう見えるなら長老さんたちも警戒するのでしょう。しかしそうは見えないからやすやすと入り込んでくるのです。いかにも良き牧者のように、いかにも正しい教えのように見え聞こえるのです。
それはどういう者かといえば、先ほど教えられたことの反対です。教会を、イエス様の血の犠牲に与るための場所ではなく、逆に信徒に犠牲の血を流させる所にしようとするのです。教会がどれほどそうした指導者や教えによって荒らされてきたでしょうか。
最後に、パウロは長老さんたちを神とその恵みの言葉とに委ねると言います。恵みの言葉の「言葉」とは原文ではロゴスといいます。それは、原理とか法則という意味を持っています。日本語では「にもかかわらず」という言葉で表現されるものでしょう。私たちがたとえ病んでいても、教会に来ればイエス様の血によって健やかにしていただけるのです。神様の恵みこそが、教会を建て上げます。イエス様の十字架の犠牲に与るための教会と致しましょう。
ペトロの手紙一1章3~9節
あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見ていなくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。(8節~9節)
喜びには二つの喜びがあります。言い尽くせる喜びと言い尽くせない喜びの二つです。言い尽くせる喜びは、ごちそうを食べた喜びのようなものでしょうか。どううまいかは語れます。しかし、それに対して言い尽くせない喜びがあります。信仰の喜びがそれです。聖書はその喜びについて語ります。
「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、(略)言葉では言い尽くせない喜びに満ちあふれています」とあります。その通りです。私どもはキリストを肉の目で見たことはありません。ところが福音書に登場する弟子たちは肉の目でキリストを見ることが出来たのです。キリストご自身が選ばれた12弟子のペトロもその兄弟のアンデレもゼベタイの子のヤコブもヨハネも肉の目でキリストを見ていました。ガリラヤからエルサレムへ向かう旅においても一緒に行動していました。その関連でとりわけ思い出されるのはトマスです。
ヨハネによる福音書20章24節以下に復活のキリストとトマスの出会いが書かれています。他の弟子たちが十字架の死ののちに復活の主に出会ったというのに対して、トマスは一人だけ「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(25節)と言いました。
つまり、この時のトマスの考えからすれば見えないキリストなど愛せなし信じられないのです。だからキリストの釘の跡を自分の目でしっかり見て、自分の指を釘の跡に入れてみてはじめて信じるというのです。たしかにそのような考え方もあります。それは信仰の世界とは違います。聖書が記すその後のトマスの変わりようは信仰が見えない世界にかかわることであると示しています。キリストがトマスに向かって語りかけます。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(27節)です。言葉は見えるでしょうか。言葉は見えません。聞くものです。そしてキリストのここで言葉を聞いたトマスはどうしたのでしょうか。「わたしの主、わたしの神よ」と言いました。これは12弟子の一人のトマスの信仰への開眼です。信仰告白の言葉です。トマスは復活のキリストの見えない言葉を聞いて信仰の世界があることを示されその信仰に立ちました。そして、その世界に生きるものへと招かれたのです。「今見ていなくても信じており」とは復活の主の言葉を聞いて「わたしの主、わたしの神よ」という信仰告白をしたトマスのことです。そして、今2年以上もの長い間のコロナ下にあっても主の日に礼拝を守り続け目に見えない神の言葉を聞き続けている私どものことです。
信仰の喜びは言い尽くせない喜びです。同時に素晴らしい喜びでもあります。その素晴らしい喜びを自分の喜びにして歩み続けたいものです。
創世記第17章15~19節
アブラハムはひれ伏した。しかし、笑って、ひそかに言った。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。」アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように。」(17節~18節)
旧約の創世記に記されるアブラハムとはどのような人でしょうか。パウロによって「だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。」(ガラテヤの信徒への手紙3章7節)と語られる人です。つまり、アブラハムは信仰の父なのです。信仰によって生きる人々は、アブラハムの子であるのですから、アブラハムは信仰よって生きる人たちの父です。パウロはそのように考えていました。
ところが、創世記17章のこの箇所を読むと信仰の父のアブラハムは不信仰の父ではないかと思われます。なぜなら、「百歳の男に子供が生まれるだろうか」といって神が語られた約束の言葉を信じていないと思われるからです。15節以下には神が語られた言葉として「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう」と記されており老齢のアブラハムに対して子供の誕生が示されています。
それに対して17節で注意したい言葉は「笑い」です。ここでは「しかし、笑い」と淡々と訳されていますが、元の言葉を直訳すれば「顔を伏せて笑った」ということです。信仰の父のアブラハムは顔を伏せて笑ったのです。落語を聞いたり漫才を聞いておかしいので大きく口を開いて大声で笑ったのではありません。顔を相手に見せないようにして下を向いて含み笑いをしたとでもいえる所です。神様このような老齢の者に子供が与えられることは全くありませんとアブラハムは考えたのです。きわめて常識的な判断です。
個人的な思い出を記します。洗礼を受けた1972年4月のその月から始められた東京神学大学の夜間講座の受講生になりました。26期生です。それから50年過ぎた今も夜間講座は続いています。当時は毎週の月曜日と金曜日の午後6時から8時まで東京、銀座の教文館という本屋のビルの9階で講義が行われていました。教師はほとんどが東京神学大学の教授でした。その中の一人に北森嘉蔵先生がおられました。北森先生からは教義学を学びました。4月に洗礼を受けたばかりで何も分からないものでしたが北森先生は自分が書かれた『聖書の読み方』を用いて分かりやすい話をされました。その『聖書の読み方』の中に創世記17章に記されるアブラハムの笑いのことが書かれているのです。そしてこの本は今まで何度も引っ越しをしたなかでも捨てられることなく、今も持っています。なぜか捨てがたい思いがあるのです。北森先生はこのように書いています。「顔を伏せて笑う、というのは含み笑いであり、その意味で、ものすごい笑いである。いったい、人間が相手の言うことを聞いて笑うということほど、失礼なことがあろうか。相手が人間であっても許されがたいほどの非礼を、アブラハム(信仰の父)は神に対して犯したのである。」にもかかわらずアブラハムが信仰の父と呼ばれるのはなぜか、さらにはそのアブラハムの信仰とは何かと問われる思いがするのです。
コヘレトの言葉3章9~11節
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。(11節)
今、毎週木曜日に守られている祈祷会では旧約のコヘレトの言葉を学びながら祈りへと導かれています。2021年2月から学び始めていますから、1年になります。ゆっくり丁寧に学んできました。現在8章を読んでいます。3月末までに最後の12章まで終わりたいと願っています。4月にはもういなくなるからです。
私事ですが、1月5日(水)に山形地区、上山教会の中村正俊牧師の葬儀が天童市内の葬祭会館で開かれ出席しました。私と同じ年の74歳で1月2日に天に召されました。葬儀当日は大雪のため山形新幹線「つばさ」は大幅に遅れ列車が天童に到着した時は葬儀開始時刻の10時30分を30分以上も過ぎていました。したがって開始時間に間に合わず天童教会の原牧師の葬儀説教も聞くことは出来ませんでした。しかし、式次第は受付で受け取りそれによると葬儀説教は、コリントの信徒への手紙二4章18節を読み「永遠を見据えて生きた人」という題が付けられています。原牧師は上山教会の中村牧師は永遠を見据えて生きた人だと考えておられたのでしょう。中村牧師とは長い交わりがあったようです。同じ神学校の卒業でもあります。
中村牧師が東京の神学校を卒業して上山教会へ赴任されたのは2017年4月です。69歳でした。65歳まで一般社会の仕事をされていました。故郷が山形でしたから神学校を卒業後は故郷に戻られて福音を宣教する働きを4年9か月担われました。
そんなわけで私が出会ってからは4年9か月の短い間でしたが、伝道師就任式、正教師按手礼式、牧師就任式などそれぞれ教区から派遣されたものとして司式を担当しました。残念なのはいつも時間に追い立てられていてゆっくり話をする時間が持てなかったことです。
それでもいくつか思い出すことはあります。2021年10月15日(金)に開かれた教区の教師研修会で発題をされた時のことです。テーマは「コロナ禍のなかでの教会」ということでした。まず「コロナ禍」という言葉には反対と言われました。「禍」というのは「わざわい」ということだから、むしろコロナ下というべきだと言われるのです。それはコロナが人間にもたらしたのは決して「わざわい」だけではないと言われました。もう一つコロナ感染をどう考えるのかについてこうも言われました。よく教会の中で一日も早いコロナの終息をと祈る人がいるけれども、自分はそのような祈りはしない。祈るのであれば終息を祈るのではなく「神がコロナの感染拡大を通して私ども人間に対して何を問いかけておられるのか、その問いを教えてください」と祈るべきです、と言われたのです。まさに永遠という時を見据えて生きていた人だからこそ言える言葉ではないでしょうか。
コヘレトが語るように神は「永遠を思う心を人に与えられておられる」のです。具体的にはどのようなことでしょぅか。コロナ下にあってもそこで神が人に問いかけておられることを認めその問が何かを教えてくださいと祈る人になることです。
詩編27篇1~4節
主は、わたしの光、わたしの救い
わたしはだれを恐れよう。
主はわたしの命の砦
わたしは誰の前におののくことがあろう。
(1節)
今、毎週の主日礼拝は旧約の詩編のみ言葉を学びながら守っています。2022年を迎えても基本的には詩編を礼拝で取り上げていきたいと考えています。詩編とは何でしょうか。一言で言うならば祈りです。20代で学んだ神学校の旧約の教授だった左近淑先生は次のように詩編について書いています。
「詩編の魅力は、人間の悲しみ、苦しみを歌い、描きあげ、それに自己陶酔し、その世界に自ら入りびたり、他の人を誘いこむというところにあるのではありません。深い淵の底から、主よ、と、もう一つの極に向かって声を張り上げたところにあります。底なしの深みから、まったく無駄と思える一事に賭けた。それが旧約詩人の生そのものであったといえます」。『詩編を読む』筑摩書房、1990年。
左近先生は詩編とは祈りだと考えています。しかも、その祈りは底なしの深みから声を張り上げるような祈りだと言うのです。「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます」との言葉で始まる詩編130篇を考えられてのことと思われます。同時に神学校の教室でいつも高い声を張り上げて講義をしておられた左近先生を思い出します。59歳で病に倒れ天に召されました。30年も前になります。
詩編27篇も祈りの言葉です。「主はわたしの光、わたしの救い」は祈りです。また、神を信頼する思いの中での信仰の告白の言葉ではないでしょうか。「わたしの光、わたしの救い」を読むと、ヨハネによる福音書20章24節以下に記される主イエスの弟子の一人だったトマスのことが思い出されます。一人だけ主イエスの復活を信じなかった弟子でした。「この指を釘跡に入れてみなければ、この手を脇腹に入れてみなければ決して信じない」とまで語った人物がトマスです。それに対して主イエスは語り掛けます、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしの脇腹に入れなさい」です。その言葉を聞いたトマスは「わたしの主、わたしの神よ」と言いました。詩編では「わたしの光、わたしの救い」です。それに対してヨハネ福音書が弟子のトマスの言葉として記しているのは「わたしの主、わたしの神よ」です。言葉は異なりますがそれぞれの信仰の告白としての言葉であり、祈りでもあるのではないでしょうか。
しかし、そのような信仰の告白と祈りの言葉とともに「わたしはだれを恐れよう」との言葉も詩編には記されます。だれを恐れよう、とは誰も恐れないとの思いの中のことですが、恐れを知らないわけではありません。詩人は恐れのあること知りつつもなお恐れないのです。それは主がわたしの光であり、わたしの救いだからです。ある本の中でこんな言葉に出会いました。「人生において恐れは一番無益なものでありながら、万人にさけがたい感情である。人生は戦いだからであり、絶えず危険に囲まれたものだからである。しかし、神に信頼し、われわれは全く恐れを知らぬものにならねばならない」。詩人もトマスも恐れから祈りへと変えられた人なのです。
保科 隆牧師
テモテへの手紙一6章3~10節
なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。(7~8節)
今年は11月7日の主日礼拝が逝去者記念礼拝です。天に召された方々を偲びつつテモテへの手紙6章7節に注目したいと思います。このみ言葉を読みますと旧約のヨブ記1章21節を思い起こします。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこへ帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
「裸で母の胎を出た」は「何も持たずに世に生まれ」と同じです。「裸でそこへ帰ろう」は「世を去るときは何も持って行くことは出来ない」と同じです。つまりヨブ記とテモテへの手紙一のみ言葉では同じことが語られています。ところで教会で行われる葬儀の中で牧師が火葬場において御遺体が火葬にされる釜の前で祈る言葉があります。その式のことを火葬前式と読んでいます。「主は与え、主はとりたもう。主のみ名はほむべきかな。どうか、万物のあらたまる日まで、兄弟の全霊全身を守り、主と共なる祝福にあずからせてください。」
火葬前式の祈りはヨブ記1章21節に基づいています。主は人にいのちを与えられます。そして、時が来るといのちを取られるのです。裸でこの世に生まれてきたのだから裸で何も持たずにいのちを与えてくださった主のもとに帰っていくのです。あたりまえのことですが「何も持たずに世を去る」とは簡単にそうは言えないのではないでしょうか。他人のことはともかくとして自分自身を顧みるべきでしょう。テモテへの手紙が「食べる物と着る物があれば」と語るのは、それで満足できない人間の現実を見つめているからです。
私には「裸でそこへ帰ろう」また「世を去る時は何も持って行くことは出来ない」とのみ言葉を思う時に忘れることの出来ない信徒の方がおられます。富山県の高岡教会の教会員で肝硬変を患い召された方です。神学校を卒業し伝道師から牧師になって初めて葬儀の司式をしたのがこの方でした。私が高岡教会へ赴任した年の1980年の年末から年始にかけての北陸地方の豪雪は56豪雪と名前が付けられるような大雪でした。ところが翌年の1981年の年末は前年の豪雪が嘘のように思える雪の降らない日々が続きました。その雪のない年末に召された高岡教会の信徒の方はお仕事が内科の医師でしたから自分の死ぬ時がいつなのかを医師として分かっておられたようです。「わたしはクリスマス礼拝のときまでは持たないと思います」と言っておられました。召された12月のある日に病院にお見舞いに訪ねた時にこんなことを言われました。肝硬変という病気は腹水といっておなかに水が大量にたまります。バケツにいっぱいたまる時もあるそうです。「今日はバケツがいっぱいになるぐらいの水を抜きました。水が抜かれる中で夢を見ていました。パンツが一枚邪魔をして神様の所へ行けません。」裸で帰るとはどういうことなのかを教えてくれた一人の信徒の証です。忘れることの出来ない言葉になりました。
保科 隆牧師
ヨブ記1章1~12節
サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。一つこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うに違いありません。」(9~11節)
ヨブ記は旧約の中ではよく読まれているものの一つである。今、毎日の朝食の時に読み続けている「歴代誌」よりは読まれているに違いない。ではなぜヨブ記はよく読まれているのだろうか。それは読む人がヨブの苦しみに自分の苦しみを重ねて読むからではあるまいか。以前の教会の信徒の方にヨブ記を何十回も読みましたと言う方がおられて記憶に残っている。
では、ヨブ記には何が書かれているのでしょうか。ヨブ記のテーマは何でしょうか。一つではないと思われる。少なくても、その一つと考えられるものがここに記されている言葉である。「ヨブが利益もないのに神を敬うでしょうか」。利益とはご利益のことである。ヨブはご利益がなくても神様を信じるでしょうか、信じるはずがない。その問いがヨブ記のテーマである。宗教にはご利益はつきものである。日本人が神社仏閣にお参りする目的はご利益が欲しいからである。家内安全、商売繫盛、無病息災、五穀豊穣などすべてご利益に違いない。合格祈願のご利益を期待しないのであれば天神様など行く必要はない。お賽銭は出来るだけ少なめにしてご利益はたくさんいただきたいのである。もちろん日本人に限られない。
ヨブ記1章の最初の部分はヨブがどのような人であったかか紹介されている。多くの家畜を持っており多くの使用人を抱えていて子供がたくさんいる地方の顔役だったと記されている。ヨブは何不自由のない幸福な日々の生活を送っていた。ところがある日を境にしてヨブの生活はガラリと変わる。なぜか。地上に住んでいるヨブの全く知らない天上の世界で神とサタンが地上のヨブについての話し合いをしていて、その結果ヨブに様々な災いが次々に襲い掛かってくる。災いを分類すれば天災に人災と考えられる。ヨブからすれば天災と人災によってご利益と呼ばれるものはすべて失われてしまったと言ってよい。見かねたヨブの妻が言う。「神を呪って死ぬ方がましでしょう」。(2章9節)神を呪って死ぬとはヨブがサタンからの挑戦に負けるここと考えてよい。サタンの言い分はヨブからご利益をすべて奪い去ってしまえばこらえきれずに面と向かって神に呪いの言葉を言うに違いないだからである。ヨブはそれに対してどうしたでしょぅか。
「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」(2章10節)と答えた。つまりご利益がなくなっても神を信じる道をヨブは捨てなかったのである。不幸をいただくとはどういうことなのか。自分の目から見て納得のできないことがあっても、答えを神に問いつつ神にゆだねて生きるということである。言葉だけでそのように言うことはたやすい。言葉だけではなく、実際に自分の生き方の中で不幸と思われる現実の中に立たされてもそれを神に問いその答えを求めつつ生きることである。
ヨシュア記24章19~28節
民全員に告げた。「見よ、この石がわたしたちに対して証拠となる。この石は、わたしたちに対して語られた主の仰せをことごとく聞いているからである。この石は、あなたたちが神を欺くことのないように、あなたたちに対して証拠となる。」(27節)
1980年代、私の人生の中では30代から40代を過ごした富山県の高岡教会の会堂の中に取り壊した旧会堂の屋根の瓦とともにかなり大きな石が記念の品として置かれていた。石は次のような話を教会員から聞いた。1881年の明治初期に高岡の町に初めて金沢から伝道に入ったアメリカ人の宣教師の手助けをした日本の若者がいた。名前は加藤覚という。彼は宣教師に協力したということで街を歩いている時に高岡の人たちから頭に石を投げられたそうである。その後、1921年(大正10)に初めて今の教会が建っている現在地に30坪ほどの会堂を建てた。その時に教会員が町から大きな石を拾ってきて会堂の中心の柱の基礎としていれた。その石は旧会堂を取り壊したときに出てきたので、その石として大切に会堂の中に置いて取ってあるという。会堂解体の時に出てきたその石を捨てずにとっておいた思いは、加藤覚が頭に石を投げられながらも高岡の人たちに伝道したことの証拠としてではあるまいか。石が証拠となるということである。
ヨシュア記24章は、旧約全体の中でも重要な箇所である。神とイスラエルの民がシケムという場所で初めての契約を結ぶ話を記している。その場面で石のことが記される。
「この石が私たちに対して証拠となる」という。何の証拠になるのか。24章を最初から読むとここに言う契約が何でありどのようにして結ばれたのかがよく分かる。決してこの契約はどちらかによる一方的なものではない。ヨシュアは「あなたたちか住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます」(15節)と言っている。つまりイスラエルの民が自分たちで自由に仕える神を選んでよいとヨシュアは言っている。するとどのような返事を民はしているのか。「わたしたちの神、主に仕え、その声に聞き従います」(24節)と答える。民はヨシュアに強いられて「聞き従います」と言っているのではない。ヨシュアの言葉は「自分で選びなさい」である。自由に選んでよいと言っている。
その場面で「この石が証拠となる」と記される。この石はどのような石なのか。「ヨシュアはこれらの言葉を神の教えの書に記し、次いで、大きな石を取り、主の聖所にあるテレビンの木のもとに立て、民全員に告げた、『見よ、この石が私たちに対して証拠となる』」
この石は特定の場所を選んで立てられる。すなわち神を礼拝する場所の聖所に立てられたものである。なぜか。その場所でイスラエルの民とイスラエルの神が契約を結んだからである。その契約の時にそのやりとりをじっと聞いているものがある。なにか。テレビンの木のもとに立てられた大きな石である。それは語られた契約の言葉を聞いたものの証拠の石である。一方で受けた迫害の証拠として埋められた高岡の石があり、他方で人に語られた神の言葉を聞いた証拠のヨシュアの立てた石がある。
創世記37章1~11節
兄たちはヨセフに言った。「なに、お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するというのか。」兄たちは夢とその言葉のために、ヨセフをますます憎んだ。(8節)
創世記37章はヨセフ物語の最初の部分です。17歳だった時のヨセフが見た二つの夢が記されます。どちらの夢もヨセフの家族にかかわるものです。そして、どちらの夢もヨセフは兄たちに話したので大きな憎しみをかいました。
聖書は人間の現実を知り、その現実を冷静な目で見ています。その人間の現実の一つの姿がここに描き出されます。兄弟の間に生まれる憎しみの感情です。兄弟は仲良くなどという建前はヨセフ物語の前半では通りません。兄弟でありながら大勢いる兄たちが一人の弟に憎しみを抱く原因を作ったのは父のヤコブです。ヤコブは高齢になって妻ラケルとの間に誕生した11番目の子どものヨセフを特別な服を着せてかわいがりました。父の偏愛です。学校の教師でいえば生徒のえこひいきです。えこひいきされた子どもも他の生徒たちからしばしば憎しみの対象になります。ヨセフ物語も同じパターンです。家族の中に不和な現実があることから聖書はすこしも目をそらしません。
17歳のヨセフの見た夢は二つとも共通してヨセフの前に兄たち全員がひれ伏すものです。それに対して兄たちは語ります。「なに、お前が我々の王になるというのか」(8節)です。この言葉はヨセフ物語の主題です。兄たちはヨセフが王となるのか、と言います。しかしヨセフを憎む兄たちがやがてヨセフを殺そうとして図り、さらにエジプトに向かう商人に奴隷として売りとばしたそのヨセフが、エジプトの王に次ぐ指導者となり飢饉で食料を求めてエジプトを訪ねてきた兄たちを助け出す役割を果たすとは夢にも思いませんでした。エジプトを行って兄たちは17歳のヨセフが見た夢の通りにヨセフの前にひれ伏すことになります。兄たちはヨセフが自分たちのはかりごとのためにすでに死んだとばかり思っていたのです。
「お前が我々の王となるというのか」との兄たちの言葉を読みながら新約の福音書に記される「王」についての言葉を二つ思い浮かべます。一つはクススマスの主イエス誕生物語の中で東から訪ねて来た占星術の学者たちの語った言葉です。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」(マタイ2章2節)です。学者たちは東の国から王を訪ねてユダヤの国に来たのです。その問いは「どこにおられますか」でした。
もう一つ「王」について思い出す言葉は主イエスの十字架の死の場面です。「イエスの頭の上には、『これはユダヤ人の王イエスである』と書いた罪状書きを掲げた。」(マタイ27章37節)です。東から来た学者たちの問への答えは、十字架の上の罪状書きによって示されています。学者たちが「どこにおられますか」と聞いたことに対しての答えは、「十字架の上に」おられますということです。ヨセフの兄たちは「お前が我々の王になるというのか」といい、学者たちは王が「どこにおられますか」と問います。答えはいずれも十字架の上の罪状書きが示しています。
創世記16章1~16節
サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた。主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って言った。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」「女主人サライのもとから逃げているところです。」と答えると、主の御使いは言った。「女主人のもとに帰り従順に仕えなさい。」(6~9節)
ハガルの物語を説教として最初に聞いたのは20代の神学生のころと思われます。神学校の講義の合間に行われる礼拝の中で旧約学の先生がハガルを取り上げて説教されました。語る教師の名前も話の内容も記憶に残っています。「聖書が語る救いは時に苦しみからの解放ではなく、むしろ苦しみから苦しみの中に戻ることの中にある。ハガルに現れた神はそのような道へと促される神である」という説教の内容でした。
その後、牧師になってからいつのことかは忘れましたがアルブレヒト・ゲースの『泉のほとりのハガル』という本に出合いました。創世記16章のハガルの物語からの説教が収められています。何度も読み返した本の一冊です。こんな言葉が記されます。
ここで伝えられている話は、ずいぶん乱れすさんだものではあります。しかし、すさんだ野にもいずみは湧き、乱れた状態といえども神の下にあるのです。そういう状態のただ中にあって、神は「乏しい者の神」であろうとされ、我々はそれによって慰められるのであります。
「乱れた状態といえども神の下にある」はそのように信じたいです。私どもの現実の教会が時に乱れた状態の中に置かれます。自分の考えだけが正しいという考え方のぶつかり合いで片方の者が世の中の裁判所に訴訟を起こすこともあります。教区の責任を担うものとしてはそこで生じる問題から逃げることはできません。なんらかの関わりを持たねばなりません。しかし、心を沈めて祈りつつ考えてみるとゲースが言うように「乱れた状態といえども神の下にあるのです」ではないでしょうか。その言葉に慰められます。どのように乱れた状態でも神はそこにおられるのです。創世記16章のハガルの物語がそのことを示しています。
ハガルはサラの思惑の通りにサラの夫アブラハムの子どもを宿したためにサラからいじめられます。サラがそのように望んだとおりになったのにサラのハガルへのいじめはおかしいではないかと思うのは理屈です。人間の感情は理屈で解決がつきません。ハガルはいじめのつらさに耐えかねてサラのもとからの逃亡を図ります。逃げた先は生まれ故郷のエジプトです。逃げる道をシュル街道と言います。街道の途中の泉のほとりでハガルは主の御使いに出合います。御使いの言葉は「女主人のもとに帰りなさい」です。言い換るならば「乱れた状態の中に帰りなさい」です。サラのもとのいじめの現実へ帰りなさい、です。なぜそのようなことが言えるのでしょうか。乱れた状態の中にも神はおられるからです。神からも人からも見放されたと思うような世界こそ神の下にある世界なのではないでしょうか。
マタイによる福音書第19章16~30節
わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。(29節、30節)
福島から仙台へ、そして仙台から福島への往復には三通りの方法がある。一つ目は福島駅から東北新幹線を利用する、二つ目は福島中央郵便局前から仙台行きの高速バスを利用する、そしてもう一つは自分の車を利用する。車で走る場合は高速の東北道に福島飯坂インターから入る。
今までで一番多かったのは一週間に3回福島と仙台を往復した。その中で最近こんな経験をした。自分の車を運転していつものように仙台宮城インターから入り福島へ帰る途中に、国見インターを過ぎてから間もなくして車のバックミラーに福島行きの高速バスが写る。バスは近づいたかと思うとすぐ追い越し車線に入り私の車を追い抜いていく。高速バスは一体何キロで走行しているのだろうか。バスに乗っていると車体が大きいので速度が分からない。バスは私の車を追い越した後は走行車線を走るが、前に遅い車が走っているとすぐに追い抜いていく。やがて姿は見えなくなる。ところが、バスは福島飯坂インターを出てから天王下、原田東、などいくつかのバス停に停まる。気が付くと私の車がいつの間にか追い越している。
聖書の言葉が思い浮かんだ。先の者が後になり、後の者が先になり。どこに書いてあるかと思い探してみた。マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書のいずれにも記されている。しかし、少し違うところもある。ルカにはこの言葉は記されない。マタイとマルコが記している。マタイでは、「金持ちの青年」の話として書かれ、マルコでは「金持ちの男」の話として記される。口語訳の聖書では、「金持ちの男」ではなく「一人の人」と訳されていて金持ちであるかどうか、男か女かもわからないようになっている。よく読めば「彼は」という言葉が用いられており男であることは分かるが青年かどうかは依然として口語訳では分からない。
マタイが記しているように「富める青年の話」として親しまれてきたこの物語は、アッシジのフランシスコを動かした話として知られる。以前に「ブラザーサン、シスタームーン」という映画を見た。アッシジのフランシスコの一生を映画にしたものである。彼はイタリアの裕福な洋服屋の家庭に生まれるが、ある時に聖書が記している「富める青年の話」を読んで人生が変わる。彼は家も兄弟も父も母も捨てて、自分の着ている衣服も捨てて裸になり荒れすたれた修道院を一人で再建することから人生をやり直す。やがて再建の手伝いをする人が現れるようになり、それが大きな集団になりローマ教皇からフランシスコ会の修道院として認められるようになる。映画のクライマックスはぼろの修道服を着たフランシスコと豪華な衣装を身にまとったローマ教皇がバチカンで面会する場面である。いずれにしても彼はそのような仕方でこの言葉を読んだ。「永遠の命」を受け継ぎたいと願ったからである。「永遠の命」を救いと置き換えるならば「救い」に関しては先の者が後になり、後の者が先になるということである。
創世記4章1~16節
カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原についたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。」(8節~10節)
カインとアベルの兄弟の物語は、旧約の創世記第3章の堕罪の物語に続いて記されています。つまり最初の人間アダムが神の戒めを自ら破り罪を犯したことに続けて、カインとアベルの兄弟の物語が登場します。
カインとアベルはアダムとエバから生まれた子供です。人間として最初の兄弟として生まれました。そして、兄のカインが弟アベルを野原に誘い出し殺したと記されています。口語訳の聖書では「さあ、野原へ行こう」とカインはアベルを誘い出す目的で声をかけています。うまく野原に誘い出し意図的に弟を殺したというべきでしょう。そのことは何を意味するのでしょうか。それは、人間は自分と神の関係に破綻をきたすときは、すぐに兄弟の関係にも破綻が及ぶことが示されています。聖書の信仰は縦の関係性の破れから横の関係性の破れへ進みます。この点は創世記を3章から4章へ連続して読み進むときの鍵ともいえることです。
それではカインはなぜアベルを殺したのでしょうか。その理由は「主はアベルとその献げ物には目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。」(4節、5節)です。その結果として「カインは激しく怒って顔を伏せた」(5節)と書かれています。献げ物はどこでなされるのでしょうか。礼拝です。誰にささげるのでしょうか。神に献げるのです。しかし、心が縦にまっすぐに神に向けられる礼拝の中でカインは神に対して不平を漏らします。すでにアダムが罪を犯したことによって神との縦の関係が破れているので横の破れに向かいます。カインは神がなぜ自分の献げたものを受け入れず弟アベルのものを受け入れたのか。その理由がわかりません。納得ができません。兄弟への激しい怒りがカインの心のなかに燃え上がってきます。「顔を伏せた」と記されるように顔に怒りの感情が表れていたのです。カインは一体どんな顔をしていたのか想像してみてください。
考えてみると神が自分の思うようになされなかったので怒っているのではないでしょうか。それならば神が自分の都合のよいようにしてくれないと言って怒っているに過ぎません。誰しもが身に覚えのあることではないでしょうか。神は自分の目的を果たすための手段の一つではありません。それにしても怒りからからすぐに兄弟の殺人にいたる筋道はどう考えたらよいのでしょうか。まさに人が罪を犯す筋道です。
創世記で最初に人の死について記されるのは命ながらえて自然に死ぬ死ではなく人が人を殺すという仕方で起こりました。「弟の血が土の中から私の向かって叫んでいる」(10節)との言葉からは不自然に殺されたアベルの無念な思いが読み取れます。それに対して神はそのような人殺しのカインを守るために「しるしを付けられた」(15節)というのです。そこに罪びとを赦す主イエスの十字架の福音が示されているのです。
ヨハネによる福音書20章24~29節
トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(28~29節)
ヨハネによる福音書20章24節以下のトマスと復活の主イエスとの出会いの物語は毎年訪れるイースターの礼拝で読まれる聖書の箇所です。なぜでしょうか。ここでのトマスの姿に自分を重ねて読んでいる人が多くいるからではないでしょうか。マタイによる福音書28章16節以下の「大宣教命令」の記事においても山の上で復活の主に出会った11人の弟子たちの中には「しかし、疑う者もいた」(28章17節)と書かれているように主イエスの復活を信じないものがいたのです。弟子の中にも疑う者もいたと聖書が書いていることで慰められると語る牧師がいて妙に記憶に残っています。疑い深いのは11人の弟子たちだけでなく、またこの場面でのトマスだけのことでは終わらないということではないでしょうか。自分に覚えがあるのです。だからこの記事が読み継がれてきたのです。
トマスの人柄についてヨハネによる福音書はこれまでも何回か記しました。14章の最初のところで主イエスが「わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っている。」(4節)と言われたことに対してトマスは「主よ、どこに行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」と答えています。トマスは自分が分からないことは分かったようなふりをするのではなく素直に「分かりません」と言えた人です。だから、この場面でも他の弟子たちが復活の主に出会ったというのに対して一人だけ自分は、「あの方の手に釘跡を見、そして自分の手を脇ばらに差し入れてみなければ私は決して信じない」(25節)と言ったのです。いかにも分からないことは分からないというトマスらしい態度です。現代の社会に置き換えて考えるならば見えるものに確かさを見出そうとする科学的精神の持ち主と言えましょう。
そのような科学者トマスに対して主イエスの答えはどのようなものだったのでしょうか。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」(27節)でした。トマスよ、それなら科学的な探究をやってみたらどうか、との返事と受け取れます。しかし、信仰は科学ではありません。科学的な証明によって復活は明らかになりません。復活は十字架につけられて私どもの罪のために死なれた方の復活を信じる信仰だからです。つまり復活は主の恵みと救いに固く結びついているものなのです。ただ死んだ人がよみがえったことではないのです。
トマスはそのように語られる主の言葉を聞いてどうしたのでしょうか。手の釘の跡を確かめたのでしょうか。脇腹に手を差し入れたのでしょうか。そのようなことはしなかったのです。どうしてそれが分かるでしょうか。「わたしの主、わたしの神よ」で分かります。これはトマスの信仰告白です。主イエスの十字架と復活を信じますとの信仰です。教会の最初の信仰告白の言葉は「イエスは主である」(Ⅰコリント12章3節)です。科学者トマスの信仰も「わたしの主、わたしの神よ」に示されます。
マタイによる福音書26章69~75節
ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、私には分からない」と言った。ペトロが門の方へ行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。(69節~71節)
教会の今年の暦では3月はレント(受難節)です。さらに3月28日は棕梠の主日になり受難週が始まります。レントの時には皆さんと共に主イエスの受難の歩みに心を向けたいものです。福音書が記している受難週の出来事の中で強い印象を残すのは主イエスの弟子のペトロの裏切りの場面ではないでしょうか。この場面は四福音書のいずれもが記しています。
「ペトロは中庭に座っていた」とあります。中庭は当時のユダヤ教の大祭司であったカイアファの邸宅の中庭です。女中はカイアファの邸宅で働く女中です。マルコ福音書では「大祭司に仕える女中の一人」(15章66節)とあります。ペトロは自分が今まで師と仰ぎ従ってきた主イエスがユダヤ教の指導者たちによってエルサレム神殿を冒涜した罪によって逮捕され裁判を受けるために大祭司の邸宅に連れていかれたことを知っていました。だから裁判の結果がどうなるのかが気にかかりこっそりと人目を避けて皆の後ろから大祭司の邸宅までついて来ました。そして中庭に座っていました。ルカ福音書ではこの時に「人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした」(22章55節)と記します。ルカは人々が中庭にいて焚火をしているその中の一人としてペトロがいたと記します。とても興味深い書き方です。つまりルカでは中庭の焚火が示しているように主イエスは火で焼かれる犠牲の子羊のイメージです。大祭司の裁判を受けてから神の子羊として殺される道がすでに中庭で備えられているのがルカの書き方です。
それはともかくペトロは女中に自分が主イエスの仲間の一人であることを見破られてしまいます。困ったことになりました。ペトロは必死になって否定するのですが、マタイではもう一人の女中が現れて同じ発言をします。さらにその場に居合わせた人たちは「お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる」といって追い打ちをかけました。ペテロはガリラヤの漁師でしたからガリラヤ生まれの人だけが話す言葉の訛りがあったのです。ペトロの生涯最大のピンチです。そして主イエスについて「そんな人は知らない」と言ったとたん鶏が鳴きました。以前に「鶏が鳴く前に三度私のことを知らないと言うだろう」と言われた主イエスの言葉をそこで思い出したのです。そしてどうしたのでしょうか。「外に出て、激しく泣いた」のです。ペトロは人目を避けて一人になりたかったのです。だから大祭司の邸宅の外に出ました。自分したことがなんであったかを考えてただ涙を流しました。中島みゆきの「悪女」という歌に「涙ぽろぽろ流れて枯れてから」があります。この時に涙が枯れるまでペトロは泣いたのではなかったでしょうか。しかし、その涙はペテロが自分の罪を認めて悔い改めて流す涙であったように思うのです。
使徒言行録3章1~10節
ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が、何かもらえるかと思って二人を見つめていると、ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(4節~6節)
この物語を読むときに小学生の時代に見た風景を思い出します。場所は東京の繁華街の池袋です。子供のころ池袋の町には出る機会が多くありました。駅の東口から西口へ通り抜ける地下道があります。子供の感覚ではかなり長く暗い道でした。ちょうどその道の出口の突き当りのところに傷痍軍人と呼ばれる方が茣蓙のようなものを引き、地べたに座って物乞いをしていました。いつ通ってもいたように思います。戦争が終わりまだ間もない時代だったので山手線の車内にもアコーディオンを引きながら物乞いをする傷痍軍人の姿も見かけました。
使徒言行録の3章のこの場面は池袋の地下道ではありません。エルサレムの「美しい門」と呼ばれる場所です。2000年も前の出来事です。しかし、ペトロとヨハネがじっと目を凝らしてみた相手は物乞いでした。彼は「置いてもらっていた」と記されることから考えると傷痍軍人の方と同じように自分の足では歩けなかったのでしょう。まさに状況は戦後すぐの時代に池袋の地下道にいた物乞の姿と重なります。4、5日滞在したアメリカの大都会、ニューヨークの中心にあるグランドセントラル駅の入り口にも物乞いをする人がおりました。まだ二年にもならない前の風景です。摩天楼のそびえるマンハッタンにいまも物乞いがいる風景を見て驚きでした。
さて、「美しい門」にいた物乞いは何かもらえるかと思いペトロとヨハネをじっと見つめます。物乞いを見てペトロは何と答えているでしょうか。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。ペトロの答えは砕いていえば「あなたに差し上げるものは何も持っていないけれども、私が持っているものならば差し上げることができます。それは、イエス・キリストの名」です。金や銀とは何でしょうか。お金です。お金は経済と考えてよいでしょう。コロナ禍の中にあっても経済を回さなければならないと考えて政府は「ゴーツートラベル」とやりました。その結果どうなったでしょうか。皆さんがご承知の通りです。日本の各地に立てられた原子力発電所も経済優先の最たるものの一つでしょう。安心安全は神話に過ぎなかったのです。ここでペトロはきっぱりとお金は私にはないと答えます。物乞いが求めていたものは何でしょうか。物乞いの言葉が示す通り「もの」です。「もの」はお金です。経済です。ペトロはそのようなものは自分にない、といい自分にあるものは「キリストの名」だと示します。「キリストの名」とは何でしょうか。キリストへの信仰です。キリストを愛することです。だからこそ、ここで「キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」という言葉が用いられます。立ち上がり、歩くことは、生きることです。キリストへの信仰と愛をもってこの世を生きる道があることを物乞いに示したのです。
ローマの信徒への手紙12章9~12節
愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。(9~10節)
2021年最初となった1月3日の主日礼拝では「愛には恐れなし」というテーマでヨハネの手紙一の4章18節「愛には恐れがない」に耳を傾けました。大雪や大雨などの自然災害の多い年、加えてウイルス感染拡大の恐れの中に置かれた一年を振り返りつつヨハネの手紙一4章のみ言葉に聞きたいと願ったからです。同時に他の箇所において聖書は愛をどのように語っているのか気になりました。そのような意味で説教の中でコリントの信徒への手紙一の13章4節以下を引用しました。
さらに、もっとその他のところはでは愛をどのように記しているのかと考えました。そしてローマの信徒への手紙12章にたどり着きました。「愛には偽りがあってはなりません」です。「偽りがあってはならない」と日本語ではたくさんの言葉になっています。元の言葉は一つの単語です。その意味は「偽善ではない」です。同じ言葉がヤコブの手紙3章17節に用いられます。そこでは「偽善的でもありません」と訳されます。愛は偽善ではないのです。人間の愛について考えると愛は偽善と紙一重ではないでしょうか。偽りのない愛と偽善の愛との区別は出来るのでしょうか。人工知能のA1にその区別をやってもらったらどうでしょうか。A1に人間の心が全て読めるのかということです。
古代教会の指導者だったアウグスティヌスは「人間は真実の愛に飢えているので、偽りの愛さえ人間をとらえるものだ」と語ったそうです。また、ある人は「見えすいたお世辞と分かっていても、我々は人の好意に弱いのです。それほど、みんなが愛に飢えているのです」と語っています。人間はみな愛に飢えているからこそ偽善の愛と知りながらもそこに引きずられていくのです。お世辞でもよいのです。自分をほめてくれた少数の人がいたからこそ人生をこの年まで生きてきたのです、と語る人もおります。もちろんお世辞ではなく本当にそのように思ってほめてくれる人もいるかもしれません。
パウロは語ります。「愛には偽りがあってはなりません」。愛は偽善ではありません。愛には偽りが入る隙間がありません。あらためて福音書を読んでみます。ルカによる福音書10章25節以下の善いサマリア人のたとえ話です。律法の専門家の問は「私の隣人とはだれか」ですが、主イエスがたとえ話で明らかにしたのは祭司やレビ人という律法の専門家と称する人たちの偽善でした。最後にこのたとえ話を聞いた律法の専門家は「その人を助けた人です」と主イエスに答えます。しかし、正解を出してそれで終わりではないのです。「行って、あなたも同じようにしなさい」と主イエスは語ります。追剥にあい半殺しになったサマリア人を助けた旅人のようにあなたもしなさいと言われるのです。あなたもそのように生きるよう、です。偽善ではなく真実の愛に生きる道があることを律法の専門家に教えてくれました。もちろん律法の専門家だけに限られるものではありません。さまざまな恐れの多い今の時代を生きる私たちにも教えてくださっているのです。
コリントの信徒への手紙二1章12~14節
わたしたちは世の中で、とりわけあなた方に対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです。
(12節)
フランスの詩人でルイ・アラゴンが書いた詩に「ストラスブール大学の歌」があります。二十歳のころです。大学生であった時代にこの詩に出会いました。まだ教会に行ったこともないころです。すでに50年以上の時が流れました。この詩はかなり長い詩なのですが、中に出てくる言葉の一節は今でもはっきりと覚えていて決して忘れることができません。第二次世界大戦下のフランスの町、ストラスブールでは1943年11月に大学の教授や学生たちが攻め込んできたドイツ軍によって銃殺され、数百名の者が逮捕されるという事件がありました。そのような状況の中でアラゴンはこの詩を書きました。「教えるとは、希望を語ること。学ぶとは、誠実を胸に刻むこと」。
この詩に出会った二十歳のころは1970年前の大学紛争のただ中でした。戦争ではありませんから大学で教授や学生たちが銃殺されることありませんでしたが、デモで機動隊とぶつかり学生が逮捕されることはたくさんありました。教えるとは何なのか。大学で学ぶとは何なのか、と自分に厳しく問いかけていた時でした。そんな中でこの詩に出会ったのです。「教えるとは希望を語ること。学ぶとは誠実を胸に刻むこと」とくに後半の「学ぶとは誠実を胸に刻む」があの当時から今も胸に響き続けています。学ぶのは学問の世界のことです。勉強して知識を増やさねばなりません。医学部の学生になれば人間の身体をつくる骨の名前や筋肉の名前をすべて覚えなければなりません。鍼灸師は人間の身体のつぼを全部覚えているそうです。しかし、アラゴンは語ります。「学ぶとは誠実を胸に刻むこと」。
パウロはコリントの教会の人たちに手紙を書きました。「人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みによって行動してきました」そして、そのことは自分の誇りです、と言うのです。パウロはこれまでに何度も人間の知恵について語りました。「「知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる」と言いつつ「世は自分の知恵によって神を知ることができませんでした」(コリントの信徒への手紙一1章20節以下)
また別な言葉もあります。「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」(コリントの信徒への手紙一8章1節)パウロは一貫して知恵も知識も否定的です。それではわたしどもの信仰にとって何が一番大切とパウロは言うのでしょうか。「神から受けた純真と誠実」です。人間が考えて胸を張るような誠実ではありません。神から受けとる誠実です。神から受けることのない誠実はむしろ危険です。
相良亨の『誠実と日本人』のなかに、「他者に対する誠実といっても、その他者なるものの他者性が自覚されない時、それは有難迷惑となるであろう」。相良の言う「他者なるものの他者性」とはなにか。わたしには神から受けることの他に考えられないのです。誠実を胸に刻むためには、誠実な心を神からいただくことが求められるのです。
エフェソの信徒への手紙2章14~22節
「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。」
今年は11月29日の主日礼拝がアドベント(待降節)第一主日になります。クリスマスの礼拝は12月20日(日)に守ります。残念ですが24日(木)のクリスマス・イブ礼拝は中止にしました。現在、全世界がコロナ禍の中におかれている時にもクリスマスが世界中で覚えられることを感謝し、このような中でも守られるクリスマスの意味を聖書のみ言葉を読みながら深く考えたいと思います。
「キリストはおいでになり」とはクリスマスのことです。「使徒信条」の言葉に従えばキリストはおとめマリヤより生まれと言ってもよいでしょう。次に「遠く離れているあなたがた」に対して「近くにいる人々」について語られます。距離が遠く離れていることと近くにあることを言っているのではありません。「キリストがおいでになる」までは神から遠い者とされていた異邦人の存在を考えているのです。その異邦人はキリストの十字架の血によって遠いものから今は近いものとされているのだと言っているのです。さらには人間の心のなかにある人との距離が遠いこと、また近いことが語られているのではないでしょうか。つい最近アメリカで行われた大統領選挙においてこのような人と人との距離が遠いことと近いことがどのようなことであり、それによって何がもたらされるのかを思いました。
個人的な感想だろうと言われればそれまでかもしれませんが、人間の社会の中でこれほどの心の距離が無自覚な中にも厳然としておかれおり自分たちの国の大統領を選挙した人々の心に中に分断が生じています。選挙に不正が行われており無効であるという主張は分断を裏付けるものです。白人か黒人か、金持ちか貧乏な人か、学歴がある人かない人なのか。都会に住んでいる人のか地方に住んでいる人なのか。仕事は何をしているのか。政治的な立場は保守なのかリベラルなのか。そのような違いがあることが一つ一つ人の心に分断をもたらしています。
しかし、聖書は何と言っているでしょうか。「平和の福音を告げ知らせました」と言っています。誰が誰に平和の福音を告げ知らせたのでしょうか。キリストが告げ知らせたのです。告げ知らせた相手は遠く離れているあなた方であり、近くにいる人々です。現代の世界の状況に即して考えるならば互いに罵り合うような分断された人々でしょう。アメリカ社会のことはともかくとして、以前、テレビで放送されていた番組を思い出します。磐城の町の中に住んでいる人たちの中にある分断の様子でした。磐城には原発事故で被災して避難している人たちが住んでいる住宅と、もともと磐城に住んでいる人たちの住んでいる住宅が道路を一つ隔てているところにあるのです。二つの住宅は同じ町内の中にありながら交流が全くありません。ある時にそのような関係を修復するためにバーベキユウの会を開いのですが参加は数人だったというのです。まさに分断です。しかし、そのようなところにこそ平和の福音が告げ知らせられています。
ルカによる福音書9章21~27節
それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを救うのである。(23~24節)
「のぞみはありませんが、ひかりはあります」、東海道新幹線の車掌の言葉です。東京駅で浜松へ行きたいのですが、と乗客に聞かれたときは「のぞみはありませんが、ひかりはあります」と車掌なら答えます。つまり、新幹線の「のぞみ」は浜松駅には停車せず「ひかり」は停車します、という意味です。「のぞみ」は静岡県内の浜松を含めて6つあるすべての駅に停車しません。「ひかり」なら停車する駅もあります。すべての駅に停車するのは「こだま」です。
ところで「のぞみ」はないように見える中でも「ひかり」はあるのが私どもの信仰生活ではないでしょうか。「ひかり」を「命」と置き換えてみます。「のぞみ」が消え果る所でも「ひかり」が上から照らされていて、そこから「命に至る道」が示されるのが聖書の世界です。聖書のどこにそのようなことが語られているのでしょうか。旧約、新約のいたるところに記されていますが、ルカによる福音書9章23節以下に注目します。
自分の命を救いたいものは命を失うけれども、逆に、自分の命を失うものは命を救うことになります、と書かれます。もちろん主イエスのために、と言われます。マタイ福音書では「命を救う」は「命を得る」(マタイ16章25節)となっています。それでは「命を得
る道」とはどのような道でしょうか。主イエスが弟子たちに語ります。「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」です。「命を得る道」は自分を捨てる道です。「自分の命を失うものは」の失うと同じです。さらに、自分の十字架を背負って主イエスに従うことが、命を得る道です。
関西の言葉で「捨てる」のことを「ほかす」と言います。ある学者の説では「ほかす」は「葬る」から来るそうです。つまり「ほかす」は人の死と関係のある言葉です。そう考えると日本語の「捨てる」には「死」のイメージがあることになります。
もう一つ「捨てる」で思い浮かべるのは、高い山へ登る登山隊の話です。ヒマラヤなどの8000メーターを超える山々に登山隊を組んで登ると山頂の近くにはいろいろなものが捨ててあるそうです。酸素ボンベとかアルミのハシゴとか食料とかカメラとか、いずれも大切なものばかりです。しかし、そのようなものを捨てても自分が生きて帰る道を選ぶのです。捨てないで持ち帰ることができないので仕方なく山に捨てていくのです。あとから来た登山隊の人たちがそれを拾って生き延びることもあるのです。さて「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、」と語る主イエスはご自身の日々をどのように歩まれたのでしょうか。「罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に会われたのです」(ヘブライ人への手紙4章15節)と記されます。試練を受ける中に主イエスの十字架への道があり、十字架を信じることで上からのひかりが示されのぞみのない中でも私たちが生きる「命に至る道」が示されるのです。
ヨハネによる福音書21章1~13節
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。(12節)
夏の間は涼しい早朝に散歩することを心掛けた。普段は夕方に歩く。午前5時半すぎから歩き始める。教会の前の道を北へまっすぐに福島税務署は1000歩に届かない。逆方向にパセオ通りを大町地下歩道入口までは約1000歩。万歩計を持って一日に一万歩を目標にしているがそれ以上歩く日もある。早朝の散歩がよい所は夕方の散歩では得ることの出来ないものがある。例えば、家の前を通ると朝食の準備をしていることが分かる。別段聞き耳を立てているわけではない。自然と雰囲気が伝わる。家族の人の話し声、沸いてきているみそ汁の臭い、コーヒーを沸かしているサイホンからの臭い、食器の鳴る音、などである。各家の換気扇が回っているので臭いが外に出るのかもしれない。
南相馬市の小高伝道所に2012年4月、原発事故後の強制避難指示が一部解除されて初めて入ったときも早朝だった。人が住んでいない町ではみそ汁を沸かしたりコーヒーを沸かす臭いはない。人の話声もない。なぜだろうか。強制避難区域だったからである。つまり、夏の早朝の散歩からはこの街に人が生きており生活していることがしみじみと伝わる。素晴らしいことだ。
ヨハネによる福音書21章には復活の主イエスと7人の弟子たちがガリラヤ湖畔で出会う物語が記される。ガリラヤ湖畔は7人の弟子の一人の漁師だったペトロにはかっては生活の場であったところである。ペトロは毎日この湖で漁師として働いていた。そのような場に立って主イエスは弟子たちに「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と呼び掛ける。昼の食事でも夕の食事でもない、朝の食事である。かつての漁師たちの生活感があふれる朝の食事ではなかっただろうか。とれたばかりの魚を焼くに臭いもしていたことだろう。ここでは漁師たちの生活がはっきりと示されている。
「あなたはどなたですか」と弟子たちは問いただそうとはしなかった、と記される。この食事の場面にいた7人の弟子の中にディディモと呼ばれたトマスの名前がある。トマスは「わたしがいる所に、あなたがたもいることになる」と言われた主イエスに対して、「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。」(ヨハネ14章4節以下)と答えた。しかし、この朝の食事ではトマスも含めて弟子からの問いかけはだれからもなされない。なぜか。弟子たちにとって復活の主イエスとともに生きる生活が朝の食事のように普通の生活になっているからである。
使徒言行録17章には、アテネのアレオパゴスの広場でパウロが説教する場面が記される。「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしょう』と言った」(17章32節)知恵に優れたギリシャ人には復活などあざ笑いの対象にすぎない。しかし、弟子たちにとって復活の主とともにあることは朝の食事で魚を炭火で焼いて食べるようなあたりまえの普段の生活であり、当然の営みなのである。
創世記45章1~8節
ヨセフは、声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、フアラオの宮廷にも伝わった。ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。(2節、3節)
毎週木曜日に行われている祈祷会で長い間、旧約の創世記の学びを続けてきました。第1章から学び始めています。今年の7月に入って45章まできました。創世記は全部で50章あるのでそろそろ終わりが見えてきたところです。創世記は12章以後に四人の族長と呼ばれる人たちの物語が記されます。すなわちアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの四人です。
いずれの人物も紀元前の人たちです。ヤコブという名前だからと言って主イエスの弟子のヤコブとは時代が違います。1000年以上も前に生きた同じ名前の人物です。これらの人たちはすべてその関係は親子です。族長という言葉は用いていますがそれぞれが家族と言い換えてもよいのです。45章は最後の族長ヨセフ物語のクライマックスの場面と言うことができるでしょう。数奇な歩みをたどりながらエジプトの宰相となったヤコブの子として11番目に生まれたヨセフがまだ子どもだった頃、自分を穴に落として殺そうとした兄たちを赦し和解をする場面です。
「ヨセフは声をあげて泣いたので」(2節)と記されます。これまでもヨセフが涙を流す場面はありました。「ヨセフは彼らから遠ざかって泣いた」(42章24節)彼らとは自分を殺そうとした兄たちです。ここでは兄の中でも長男のルベンの語る言葉を聞いたヨセフが兄たちから遠ざかって一人で涙を流しています。ヨセフはエジプトの宰相の立場にあるものとして人前で涙を流すことは出来ません。隠れてひとり涙を流しました。もう一つヨセフの涙の場面があります。弟ベニヤミンとの出会いです。「ヨセフは急いで席を外した。弟懐かしさに、胸が熱くなり、涙がこぼれそうになったからである。ヨセフは奥の部屋に入ると泣いた」。(43章30節)
ここでもヨセフは「奥の部屋に入って」と記されるように泣いている姿を人に見られないようにしています。ところが45章の兄たちの和解の場面では違います。「声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、ファラオの宮廷にも伝わった」と記されます。ヨセフは今までの兄たちに対する思いを爆発させて人のいる前で大声を出して泣いたのです。
旧約原典のヘブライ語の表現で、「声をあげて泣き」は「声を一切泣くことのなかに投げ込んだ」だそうです。つまり、仮に何らかの壁があったとしてもヨネフの泣く声はすさまじく壁を乗り越えて聞こえてくるほどのものだったのです。このヨセフの涙は長年の兄弟同士の争いからの和解の象徴です。主日礼拝では今、ハイデルベルク信仰問答の一つ一つを取り上げながら聖書の言葉に耳を傾けています。問26では「天地の造り主、全能の父なる神を信ず」との使徒信条の信仰を問いかけています。答えの一部に次の言葉があります。「わたしはこの方により頼んでいますので、(略)また、たとえこの涙の谷間へいかなる災いを下されたとしても、それらをわたしのために益としてくださることを信じて疑わないのです」。
創世記11章1~9節
彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしょう」と言った。(4節)
我が家の本棚には今までに一度も読まれることなく、売られも処分もされずに今も残されている本があります。しかし、その中にはある機会を通して、急に読むようになった本もあります。その一冊がル=グウィン作、清水眞砂子訳『ゲド戦記』です。ⅠからⅢまでが箱に入っており装丁の立派な本で、子供たちの絵本などと一緒に残されていました。1976年に岩波書店から出版されています。
ある機会とはNHKの「こころの時代」という日曜日の早朝のテレビ番組です。そこに『ゲト戦記』の翻訳をした清水眞砂子さんが出演をして、この本について話をしているのを聞きました。それをきっかけに読むようになったのです。箱に入っている三冊の他に作者のル=グウィンは三冊本を出して何年も過ぎてから続編を三冊出版していて全部で六冊もあります。まだその六冊を全部は読み終えておりません。
『ゲド戦記』の内容については本の箱に次のように記されています。「無数の島々からなる国アースシー、見習い魔法使いの少年ゲドは若さのゆえの驕りから〈影〉を呼び出す禁じられた魔法を使ってしまう。その時からゲドは、形のないもの、名もないもの、闇の王を求める果てのない旅をする運命を引き受けることになる。ゲドの冒険の数々を深い思想と優れた構想力でえがくファンタジー」と書かれていて、小学6年、中学生以上とありました。つまり小学生以上なら読むことのできる長編のファンタジーが『ゲド戦記』ということです。
『ゲド戦記』5は「ドラゴンフライ」の名前の付けられている巻ですが、そこに次の言葉があり心を動かされました。「もし、世界に希望があるとすれば、無名の人たちの中にしか残されていない」この訳は「こころの時代の」番組の中で訳者の清水眞砂子さん自身が英文の原文を引用してそのように訳された言葉であり、深い思想です。本の中では「とるに足りないといわれる人びとのなかにしか、希望は残っていないと思うわ」となっています。とるに足りないよりは無名がよいと思います。なぜなら旧約の創世記11章が記しているバベルの塔の記事との言葉との結びつきが考えられるからです。
バベルの塔を作ろうとした人間は「天まで届く塔のある町を建てて有名になろう」と言いました。有名になろうとする思いの中には必ず驕りが入り込みます。「すごいだろう、悔しかったらやってみろ」との考えがいつでも有名になろうとする人にありおごり高ぶりを生みます。無名なものにはなんの驕りもありません。神は、「塔を建て有名になろう」とする人間をご覧になりどうされたのでしょうか。「下って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」(7節)です。「おごれるものは久しからず」と平家物語は語ります。しかし聖書はおごれるものは久しからずではなく、おごれるものは神に裁かれてお互いに言葉が聞き分けられないものになったと言っているのです。バベルの塔の物語はなぜ世界の希望は無名の人たちの中にしか残されていないのかを示していると思われて仕方ないのです。
ローマの信徒への手紙第11章20節
そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思いあがってはなりません。むしろ、恐れなさい。
ハイデルベルク信仰問答問20を読みます。問、それでは、アダムを通して、すべての人が堕落したのと同様に、キリストを通してすべての人が救われるのですか。
答え、いいえ。まことの信仰によってこの方と結び合わされ、そのすべての恵みを受け入れる人だけが救われるのです。
ハイデルベルク信仰問答は問20から、まことの信仰・使徒信条について記します。使徒信条の問答については、問23から始まり問64まで続きます。このように形で、すなわち真の信仰とは何かの問を立てて使徒信条にはいる信仰問答の進め方は、宗教改革者のカルヴァンの書いた『ジユネーヴ教会信仰問答』と同じです。使徒信条でなくてもよいのですが、教会の歴史の中で特に西方教会では使徒信条が大切にされてきました。
まず、アダムを通しての人類の堕落が示されます。つまり、すべての人が例外なしに罪びとであるとされます。昔、神学生だった頃に通っていた教会に伝道礼拝に招かれた牧師が説教の中で「すべての人が罪びと」であると言ってから、「モハメド・アリもマイク・タイソンも罪びとです」と言っていたのを思い出します。二人ともプロボクシングのヘビー級の世界チャンピオンでした。つまり、その牧師はどんなに無敵のボクサーのような強い
人でも罪びとにすぎないと言いたかったのです。そして、それはその通りです。プロボクシングの世界チャンピオンだけではありません。いわゆる歴史上の聖人君子と呼ばれるような人たちでも罪びとです。だから救いについても同じように誰でも例外なしにすべて救われるのでしょうか、との問いです。
答えは「いいえ」です。そうではないというのです。真の信仰によって、この方と、すなわち仲保者キリストと結び合わされることがなければ救いはないというのです。つまりここで語られているのは万人救済説の否定です。エレベーターに乗っているように何もすることなくすべての人が救われてしまうとの考えがあります。また、聖書も万人救済説に立つという考えもあるでしょう。しかし、ハイデルベルク信仰問答はその立場に立ちません。ここはとても大切です。
ローマの信徒への手紙11章で言われる「あなたは信仰によって立っています」という信仰は、ここでいう仲保者キリストに結びつけられる真の信仰です。しかし、「ユダヤ人は不信仰のために折り取られた」ともいわれます。ここには「あなたは信仰によって立っています」といわれ他方では「ユダヤ人は不信仰のために折り取られた」と言われます。つまり、不信仰と信仰が同時に語られます。不信仰なのはユダヤ人であり、信仰に立っているのは異邦人と考えられます。本来はその逆なのですが、ユダヤ人の不信仰は仲保者キリストと結び合わされることを拒み、自分たちのよき技による救いを手放さなかったからであります。パウロは自分も一人のユダヤ人として同胞の救いを願わなかったはずはないのです。
ローマの信徒への手紙2章1~6節
あるいは、神の憐みがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。(4節~5節)
今年に入ってから『ハイデルベルク信仰問答』の問答を一つ一つ取り上げて礼拝で説教をしています。今回は問13です。
問 しかし、わたしたちは自分自身で償いをすることができますか。
答 決してできません。それどころか、わたしたちは日ごとにその負債を増し加えています。
『ハイデルベルク信仰問答』は全体が三部構成です。第一部は、人間の悲惨さについて、第二部は、人間の救いについて、第三部は感謝について、となっています。その中で問13は第二部の始まりのところに記されます。人間の救いについて記す第二部の最初の問答は問12から始まります。問12の問答で、すでに償いについて記されていますが償いだけではありません正しい裁きとか刑罰という言葉も問12に記されます。
ただこれらの言葉を用いて聖書が示す救いについて語る『ハイデルベルク信仰問答』は、やはり16世紀の宗教改革以後のヨーロッパの教会が背後にあると言わなければなりません。例えば十字架の救いを刑罰代理とするときの刑罰は日本人として生きる私どもの生活の中で身近ではありません。普通の生活をしているなかで裁判所への出廷が求められるでしょうか。また裁判の原告になったり被告になったりするでしょうか。ほとんどないように思われます。だから判決に基づく刑罰とか刑罰には償いが必要との考えにはなじみがない
のです。そういう言葉には関係のない所で生きているからです。
償いという言葉の意味を辞典で調べると、「金品や労力を提供し、または何かの方法で罪やあやまちの埋め合わせをする」と記されています。そして、関連した言葉としてあがなうとか贖罪という言葉も書かれていました。
まさにキリスト教の信仰の中心部分に触れるような事柄が償いの意味の中に隠されています。贖罪などはキリストの十字架の救いにかかわっています。
問13で「自分自身で償いをすることができますか」と問い、答えは「決してできません」とあります。しかし、罪に対する「償い」がなぜ求められるのかが分からないと答えがもう一つ明白になりません。しかし、明白なことがあります。罪の埋め合わせは自分の力ではできないのです。何か他の力を借りねばなりません。キリスト教信仰はそういう立場です。人間の犯した罪を激しく怒っておられる神がおられるわけですから埋め合わせを「自分で出来ますか」と問われます。答えは神に対する償いを自力ではできないということです。それならばどのようにすればできるのでしょうか。
ローマの信徒への手紙には「神の憐みがあなたを悔い改めに導くことも知らないで」と書かれています。つまり、自分の力ではなくすなわち様々な難行苦行をすることによってではなく、上なる神の憐みこそが人間を救う償いとの信仰です。
マタイによる福音書21章1~11節
イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った(10~11節)
教会の暦による棕櫚の主日の礼拝でよく読まれる聖書の箇所です。主イエスが旧約の預言者ゼカリアによって預言されているとおりにロバの子に乗られて都エルサレムに入られた日が棕櫚の主日です。その時に「都中の者が、『いったい、これはどういう人か』と言って騒いだ」と書かれています。人が騒ぐのにはそれなりの理由があります。今は世界中が大騒ぎになっています。新型コロナウイルス感染拡大に伴う大騒ぎです。日本でも地域が限定されているものの「緊急事態宣言」が首相から4月7日に出されました。それにより人々の生活がかなり制限されることになります。外出は控えて家にいるようにと言われています。人が外に出ないので職種によっては店に客が一人も来なくなることもあるでしょう。それでは店がつぶれます。生活が成り立ちません。だから大騒ぎになります。
昨年はじめて訪ねたニューヨーク州を含むアメリカが最も多くの感染者が出ています。ヨーロツパのイタリアやスペインでは多くの死者が出ています。どこの国でも大騒ぎです。それは当然のことでしょう。人の生活でありまた命の問題だからです。
しかし、ここでエルサレムの人たちが騒いだ理由は今のウィルス感染の騒ぎとは異なります。ロバの子に乗られて人々から「ホサナ、ホサナ」(万歳)と言って迎えられた主イエスをすぐ近くに見て「いったい、これはどういう人か」と語り合いそれが騒ぎになりました。ロバの子に乗って自分たちの町にやってきた人をどのように考えたらよいのかで騒いだのです。
それに対して群衆が答えています。「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」。この答えは騒ぎを鎮めるために有効な答えになっているでしょうか。そうではありません。なぜでしょうか。見当違いな答えだからです。主イエスは預言者ではなく救い主です。預言者とは何かはしばらくおくとして、ここではガリラヤのナザレからに注目します。預言者は誤解であるとしてもガリラヤから出たには意味が隠されていると思われます。ガリラヤとはどのようなところでしょうか。地理的なことで言えばユダヤの国の北のはずれです。イザヤ書8章23節では「異邦人のガリラヤ」と言われています。
つまりユダヤ人からすれば無割礼の者である異邦人が多く住んでいる北端の地域がガリラヤなのです。そこはどのようなところでしょうか。北イスラエル王国がアッシリアに敗北した時にはガリラヤから住民がアッシリアに捕囚になりました。そして住民の混血が起こったのはサマリアと同様です。そんなわけでガリラヤは当時のユダヤの人たちからさげすまれていました。そのように人々からさげすまれた場所から主イエスが出られたのです。驚くべきことです。そのガリラヤから都のエルサレムへ弟子たちとともに向かわれ、今、ロバの子にのり、さらに十字架へと向かう救い主として人々が「この方はどういう人か」と騒ぐエルサレムの町に入っていくのです。
ルカによる福音書22章24~30節
あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若いもののようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。(26節~27節)
ルカ福音書22章24節以下には、一番偉い者はどのような人であるかについて主イエスの考え方が示されます。つい最近の新聞の投書欄の記事で「偉い人は遠い人のこと」というような文章を読みました。その人にとって偉い人とは市会議員とか県会議員のような政治家のことのようです。ところがある機会に議員の方に会う時があり、話をしてみたところ偉い人が遠い人でなく近い人になった、というのです。「偉さとは何か」についての面白い話と思い記憶に残りました。
「偉さとは何か」人それぞれに多様な考え方があることでしょう。新聞の投書欄に示されるのも一つの偉さの考えです。主イエスの弟子の場合も多様です。だから「使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった」と書かれています。弟子たちが口角泡を飛ばすようにして議論をしている姿が目に浮かびます。口語訳では「争論」と訳されていましたが、口角泡を飛ばすだけでなく議論する相手につかみかかろうとするような気持ちも弟子たちの中にあったのです。また、英語のある訳では「嫉妬の論争」となっています。面白いと思います。主イエスの弟子たちの中に嫉妬心があったというのです。弟子たちなのだから世俗的な考え方にならないとは言えません。真理の探究を目的とする学者の世界ほど嫉妬に支配されているところはない、との意見も同じことです。学者も十分に世俗的です。
さて、次に考えたいのはここで主イエスが食事の中で席に着く人と給仕する人の例をあげて偉さについて教えておられることです。ルカ福音書の場合は、この話のすぐ前に書かれているのは過ぎ越しの食事です。この食事は主イエスと弟子たちにとって最後の晩餐になりました。そしてルカ福音書ではその最後の晩餐において聖餐が制定されたと記されます。毎月一回守られる聖餐式において最初に「制定語を朗読します」といって読んでいる箇所はここなのです。そして、その翌日は金曜日であり主イエスが十字架で亡くなられることになります。したがって、ここでなぜ食事のことが例に出されるのか、その理由は今まさに食事の場に弟子たちが臨んでいるからです。また、偉さとの関連で言えば偉さとは食事の席に着いている人でなく、その食事のために給仕をしている人なのだと言われます。これは世間の常識とは正反対です。給仕をしている人は偉くはありません。華やかな衣装を身にまとい晩さん会の席についている人たちが偉い人たちに違いありません。
しかし、主イエスの考えは違います。給仕する人が偉いのです。ヨハネ福音書13章には洗足の記事が記されます。「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも足を洗いあわなければならない」。主イエスが教えられる偉さは弟子たちが互いに足を洗いあい、食事の席では給仕をする人間になることなのです。主イエスはその道を歩まれたのです。
マタイによる福音書26章6~13節
さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、一人の女が、極めて高価な香油の入った壺をもって近寄り、食事の席についておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人に施すことができたのに」イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。云々」(6節~10節)
今年は、2月26日が灰の水曜日にあたり、その日からレント(受難節)に入ります。イースターは4月12日です。この季節は主イエスの受難に心を向けるときです。マタイ福音書26章に記されている一人の女が高価な香油を主イエスの頭に注ぎかける話は棕櫚の主日から始まる受難週に起こった出来事として知られています。毎年、レントの季節が来るたび教会で読まれてきたみ言葉です。なぜでしょうか。この一人の女の示した行為の中に主イエスの受難の意味が深く語られているからではないでしょうか。
この女のしたことを見ていた主イエスの弟子たちの言葉に注目します。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人に施すことができたのに」。たしかに、この女のしたことは無駄遣いとも考えられます。きわめて高価な香油を頭に注ぎかけたからです。高価なものでなかったならば弟子たちの反応も違ったかもしれません。「高価なものを無駄にしてもったいないことをしている」との思いは弟子たちでなくとも世の中の人の誰しもが持つ思いです。高価な茶器をそれと知らない子どもが落として壊してしまいもったいないことをした、と全く同じです。高価な茶器を売ってお金に換えて貧しい人のために使えばよかったとの考えも同じです。貧しい人のために施すことは立派なことかもしれませんが、それで貧しい人に対する愛が示されるとは思えません。なぜでしょうか。そこにはその人の生き方がかかっていないからです。ただ外側に立って人のしたことを評価して無駄とか無駄でない仕方はこうするべきとか言っているにすぎません。
「無駄」を「愚か」と置き換えてみるとパウロの手紙の、コリントへの信徒への手紙一の第1章18節以下が思い浮かびます。「十字架の言葉は、滅んでいくものにとっては愚かなものですが、わたしたち救われるものには神の力です。(略)世は自分の知恵で神を知ることはできませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで、神は宣教という愚かな手段によって信じるものを救おうと、お考えになったのです。」ここには愚かという言葉が繰り返し記されます。要するに主イエスの十字架は愚かなことだとパウロは言うのです。それだけではありません。神は宣教という愚かな手段を用いられるといいます。また、宣教の愚かさは十字架の意義にかなうというのです。主イエスの担われた十字架は、ここで名前さえ記されていない一人の女が主イエスに対してしたなした頭に高価な香油を注ぎかけることに示されます。そして弟子たちにからは無駄と言われた行為の中にもっともよく主の十字架があらわされているのです。なぜ、この箇所がレントの季節に読まれるのか、その理由がおわかりいただけたでしょぅか。
コリントの信徒への手紙二・1章3~7節
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。(4節)
教会の集会として主日礼拝後に開かれる教理を学ぶ会で取り上げているのは『ハイデルベルク信仰問答』です。かって在任した教会の求道者会などで読み通したことがあります。しかし、今回は主日の礼拝の説教で『ハイデルベルク信仰問答』の問答と関連付けながら聖書の箇所を選びます。このような形で説教するのは初めてです。問答は全部で129あります。それを52回の主日に割り当てています。1回の主日には問が1つの場合もあれば4つの場合もあります。平均すると2つぐらいでしょう。
さて、この信仰問答をとくに有名なものにしているのは問1です。次のような問です。
生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
答え。わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。この方はご自分の尊い血をもってわたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。
この信仰問答は、唯一の慰めを問う事からはじめます。しかも、生きるにも死ぬにも、です。人生は生きている時と死ぬ時しかありません。生けるしかばねという言葉がありますが生きていても心が死んでいるたとえでしょう。それでも生きていることに違いはありません。そこで考えたいのは、そのように時として生けるしかばねのような心になる人生の中に慰めなどあるのか、です。
いま2006年に起きた神奈川県相模原市の津久井やまゆり園の45人の殺傷事件の初公判が始まっています。裁判では被害者が匿名で甲とか乙と呼ばれます。人権のことがやかましく言われているこの時代に人間を甲とか乙と呼ぶのはどうなのかと思うのですが、名前を明らかにすると関係者の誰かに危害が加えられないとも限らないとの裁判所の判断が優先されて人間が甲や乙になっています。そのような事件に巻き込まれた被害者に対する配慮が求められる時代なのです。また、そのような中に置かれた人にも慰めがあるのかが問われます。やまゆり園の入所者を殺傷した被告人の抱いていた考え方は恐ろしいものです。世の中には意思の疎通のできない障害を持つ人間がおり、このような人間が生きているのは無駄だから、自分が社会正義を実現するためにあえて殺してあげたとの考えです。作家の辺見庸が小説の「月」を書いて、この事件を題材にしました。園の入所者の一人を「きーちゃん」という名前で呼び、その心のありようを内側から描きます。「きーちゃん」は目が見えず歩けず言葉を話せません。しかし自由にものを考えことができます。障碍者の命も神から与えられているものだからではないでしょうか。裁判の被告人にはそれは全く見えません。尺度は役に立つか立たないかだけです。役に立たないものはいらないと考えるからこのような恐ろしい事件が起こりました。そのような間違った考えのもと理不尽に命を奪われてしまうことがあつたとしてもその人の人生がいつでもキリストのものであることに変わりはないのです。
ルカによる福音書1章67~79節
これは我らの神の憐みの心による。この憐みによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、われらの歩みを平和の道に導く。
(78~79節)
今年のクリスマス礼拝は、12月22日になりました。その日はちょうど今年の冬至と重なります。実は、クリスマスが12月25日に守られるようになったことと冬至の日とは深い関係があるといわれています。キリスト教が国家の宗教となった4世紀初頭のローマ帝国において12月25日は、太陽礼拝をするミトラ教の祝祭の日だったのです。つまり、この日はキリストの誕生日などではなく、異教のミトラ教徒たちの祝祭日でした。ミトラ教では、この日を境にして夜の長さよりも昼の長さのほうが長くなることを覚えることとともに、新しい太陽の誕生が考えられていました。その日は特別に大切な日だったのです。太陽の誕生日として冬至祭りが祝われていたのも当然と言わねばなりません。しかし、4世紀にローマ帝国の国教となったキリスト教徒たちは、太陽の誕生を祝ったのではなく、太陽を創造した神への信仰を持ちながら、さらにキリストの誕生日とを結びつけて12月25日の異教徒の冬至祭りをクリスマスとしたといわれます。歴史的にはキリストの誕生日はいつかわかりません。また年についてもわからないのです。
さて、洗礼者ヨハネの父ザカリアが、ザカリアの賛歌と呼ばれる歌を歌っているのがこの箇所です。ザカリアは「高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」と言っています。「あけぼのの光」は文語訳では「あしたの光」となっていました。その影響を受けてか54年版の讃美歌109番では3番の歌詞で「めぐみのみ代の、あしたのひかり」となっています。新しい讃美歌21では「あたらしき代の、あしたのひかり」となっていて「あしたのひかり」については変更をしていません。興味深いことと思われます。クリスマスの歌として一番よく歌われる「きよしこの夜」の歌詞です。ここで「あしたの光」といってザカリアは冬至以後に力を増す太陽の賛歌を歌ったのでしょうか。そうではありません。「あしたの光」とは、「暗闇と死の陰に座している者たちを照らす」光です。そして「われらの歩みを平和の道に導く」光です。それは、ザカリアにとっては、これから生まれてくる自分の子供のヨハネのことであり、さらにはヨハネの将来の働きことでもあるでしょう。ヨハネこそ「暗闇と死の陰に座している者たちを照らす」光でした。
しかし、それだけのことでしょうか。もっとさらに先のことを見つめてザカリアは語っています。それは、ヨハネの後にくるキリストの誕生の預言の言葉として読めます。讃美歌21の255番はクリスマスの歌です。3番の歌詞は「とこしえの光、暗き世を照らし、闇に住む民の、上に輝けり。陰府のちから、やぶるため、み子はきたりたもう」。あしたの光は、とこしえ光です。それは讃美歌が歌うようにみ子キリストのことです。キリストの誕生は、闇に住む民の上に、あしたの光であり、とこしえの光でもある方が来てくださった出来事なのです。
出エジプト記20章16節 『隣人に関して偽証してはならない。』
主日礼拝で旧約の十戒の文言をこのところ毎週のように学んできました。十戒の言葉は、主の祈り、使徒信条とともに三要文と呼ばれており教会の中で大切にされてきました。しかし、どうでしょうか。主の祈りや使徒信条と比較すると、それほど教会の中で大切にされているとは思えません。礼拝の式次第を考えてもそのように思えます。十戒は礼拝の中であまり用いられません。なぜでしょうか。言葉の持っている印象があるように思えます。
まず「戒」という言葉に抵抗があると言われる方に出会います。「戒」は戒める意味を持ちます。宗教は戒律ではなく、自由なものであり戒律を守ることには無関係のものであると誰しもが思うところです。すると十戒の言葉の内容に入る前に、すでに「戒」という言葉につまずいてしまいます。とても残念です。元の言葉には「戒」の意味はありません。十の言葉という意味です。十の言葉は聖書の語る自由への道標です。戒律と理解すべきではありません。
さて、十戒の九戒は偽証について語ります。「偽証してはならない」というのです。法律に偽証罪があります。裁判の席で証人が故意に嘘の証言をした場合には偽証罪が適応されます。しかし、私どもが普通に生活している中で裁判所に出頭する機会はありません。そうすると九戒の言葉は日常生活とはかけ離れた裁判でのみ通用する言葉になります。この点について私どもの教会の教理を学ぶ会で取り上げている『ハイデルベルク信仰問答』は偽証という言葉をかなり広い意味に理解しています。問112です。そこでは蔭口や中傷や誰かを調べもせず軽率に断罪するようなことは偽証にあたると記されています。ただ裁判所における偽証罪が偽証であるだけではなく、人間の日常の生活のどこにでもあるような蔭口やいわゆる誹謗中傷なども偽証に当たると言うのです。この解釈には襟を正される思いがいたします。なぜなら蔭口や人を中傷することなど日常の生活でいくらでもあるからです。表面的に人をおだてる人は裏で何をいっているか分からないとはよく言われます。そのとおりではないでしょうか。
エフェソの信徒への手紙4章25節には「だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい」。隣人に対して偽証をしないことは、隣人に対して真実を語ることに他なりません。それはどのような場合であっても真実だけを語ることです。たとえ自分立場が不利になるようなことがあっても真実を語ることが求められています。偽証をしない道を歩み続けるためです。マタイ福音書が記す受難物語のなかで偽証のことが記されます。26章59節以下のところです。祭司長たちが主イエスを死刑にしようと思い不利な偽証をもとめた時に、偽証人は何人も現れたが証拠は得られなかったと言うのです。偽証について考えるならば主イエスが人々の偽証の中を十字架への道を歩まれ、また、十字架の死を通して語られる言葉があることを覚えたいものです。その言葉は主イエスが今もわたしども一人一人に聖霊なる神と共にご自身を示しておられる十字架の言葉なのです。
出エジプト記20章8~11節 「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目はあなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。」(8節~11節)
十戒の第四戒は安息日について記します。「安息日を覚えて、これを聖とせよ」(口語訳)で長いこと覚えていました。しかし、新共同訳では「聖別せよ」となっています。つまり「聖別」には聖とするだけでなく、この日は他の日とは違う日として分かつと言う意味が込められています。この点は大切です。私ども日本人の普段の生活の中で特別の日として休む日と言えば正月とお盆だけであってあとはひたすら休むこともなく働き続けることがあたりまえということもあるでしょう。
しかし、旧約の十戒ではそのようには考えないのです。安息日は一週間ごとに巡ってくる安息の日であって、この日にはいかなる仕事もしてはならないと言われます。そして、その理由は何かといえば、その日は神が天地創造のみわざを六日間でなされ、七日目には安息をされたからであるというのです。聖書では安息日は人間が六日間も働き続けて疲れたのでその疲れを取るために七日目に休む必要があるのから休日として国家が考え出したものではありません。神が七日目にはご自身の仕事としての天地創造の御業を休まれたからです。神の安息こそが人間が安息をすることの根拠なのです。
旧約の創世記の第二章には、次のように記されています。「第七の日に、神はご自分の仕事を完成され、第七の日に、神はご自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」(2節~3節)
ここでは神は第七の日、すなわち安息日を祝福しています。なぜでしょうか。神はその日に天地創造の仕事をすべて完成させたからです。神はもう何もすることがなくなったのです。だからその日には休みを取られその日を完成の日として祝福されているのです。私どもとは何という違いでしょうか。神の安息は完成としての休みです。ところが私ども人間のする仕事には完成はありません。どんな仕事も永遠の未完成であります。自分の生涯をかけてしてきた仕事を一つも完成することなく召されていくのが人間だと思います。教会の務めとしての伝道も牧会についても完成などあるはずがありません。だからこそ、神の仕事の完成の時としての七日目の安息の日には教会で礼拝を守るのです。礼拝で神の言葉に耳を傾けながら聖礼典にあづかり、神の完成としての安息にあずかることが出来るようにと祈り、また神の祝福を受けることが出来るようにとの思いをもって集まるのです。出エジプト記第5章にはエジプトの王ファラオのもとに出向いた時のモーセの言葉が記されています。「私の民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせてなさい」(1節)荒れ野で祭りをとは、荒れ野のような場所で礼拝することをモーセはファラオに願い出たのです。