日本基督教団 福島教会

福島教会のご紹介

 福島教会は、福島県福島市に位置する1886年(明治19年)に創立された改革長老教会の伝統を受け継ぐ教会です。1909年にW.M.ヴォーリズの設計による日本で最初の礼拝堂が建立されましたが、2011年の震災で被災し現在は新しい会堂になっています。

沿革

 福島教会は、1886年(明治19)5月23日に、現在の福島市大町(県庁通り)の石井薬局のあるところで「福島耶蘇教講義所」が設立され主日礼拝が守られるようになった時を創立の日と定めている。
すでに仙台(仙台東一番丁教会)、古川(陸前古川教会)、石巻(石巻山城町教会)、岩沼教会の四教会で日本基督一致教会(後の日本基督教会)の宮城中会が組織されていた。
日本基督一致教会は1872年(明治5)に誕生した横浜バンドの流れをくむ教会で改革長老派の宣教師のバラやブラウンなどが伝道した。
 福島教会は、この宮城中会に五番目の教会として参加し、それ以来、改革長老教会の伝統を大切にしながら教会形成に励んできた。初代の牧師は、仙台東一番丁教会を押川方義とともに創立した吉田亀太郎である。
 その後、1909年(明治42)12月に現在地(福島市宮下町1―6)にアメリカ人の建築家ヴオーリズの設計による礼拝堂が建築された。この礼拝堂は2011年3月11日の東日本大震災の時に倒壊するまで100年以上にわたり用いられものである。2001年には国の登録有形文化財に指定された。
   
さらに、1914年(大正3)に宮城中会のなかで独立教会になり、同年4月に教会設立式を行っている。城生安治牧師の在任中である。教会の独立を記念して「作新人」の鐘が城生安治牧師の友人より寄贈された。  太平洋戦争へと突き進む1941年(昭和16)6月にプロテスタントの合同教会として誕生した日本基督教団に加わり名称を福島日本基督教会から日本基督教団福島教会と変更し今日に至っている。また、日本基督教団の諸教会などより多大な経済的な支援を受け2011年3月に震災によって倒壊した礼拝堂を再建し、2015年3月20日に新会堂の献堂式を行った。似田兼司牧師の在任中である。

2016年4月より保科隆牧師を仙台東一番丁教会より牧師として迎えて伝道と教会形成に励んでいる。

福島教会の鐘「作新人」

福島教会の礼拝堂の鐘楼にあった鐘には「作新人」という名前がついています。これは「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(コリントの信徒への手紙 二 5章17節)に由来するものです。
 この鐘は、口径約50センチ、高さ約48センチ、重量約59キロあり、日露戦争の戦利品を潰した砲金から造られたもので、まさに戦争の武器を平和の鐘としたものです。 太平洋戦争中、この鐘は軍の命令で供出させられ、全国から集められた金属類とともに溶鉱炉の炎と消えたとばかり思われていましたが、1946年に突然「返還する」との通知がありました。この鐘はアメリカ軍の戦利品の1つとしてワシントンに持ち去られていたのですが、経緯を知ったワシントンの教会の人々が、「なんということをしたのでしょう。この鐘は返さなければ。」と返還運動を行い、アメリカ海軍の手で横浜港に戻ってきたのでした。鐘は米軍の高官と日本基督教団議長らの手によって福島に運ばれ、11月10日に還付記念式が執り行われました。教会員の喜びはたとえようもなく、この模様を新聞は次のように伝えています。  

「なる、鐘がなる、自由と平和のシンボル  鐘がなる、平和の鐘が鳴る、10日朝、福島市民は鳴っては響き、響いては鳴る、優しい鐘の音に空を仰いで聞き入った。聞き馴れた音色なのだ、鐘が戻ってきたのだ・・・」

「作新人」の鐘  現在、この鐘は、新しく再建された新会堂の塔の中にあり、主日礼拝の開始前に福島の空に鳴り響いています。