日本基督教団 福島教会

牧師室より

2020/8月号 月報より

20世紀のスペインの思想家オルテガの名著『大衆の反逆』の新しい翻訳が出版されたとの記事を新聞で読みました。岩波文庫からです。今回、新訳を完成した方は、佐々木孝といい郷里の福島県南相馬市に東京の大学を退職し晩年戻られて今回の翻訳を完成したと記されていました。2018年12月に肺癌のために79歳で亡くなられた時には、翻訳の原稿は完成していて息子の淳さんに託されたそうです。そのような意味で遺稿です。 記事には2011年3月11日の震災と原発事故を挟んで南相馬でなされた翻訳作業だったとありました。しかも認知症となった妻を連れて自宅で介護をしながらの仕事でした。認知症の妻を連れて他の場所への避難はできないとの判断から原発事故後も自らの命の尽きるまで南相馬にとどまりつづけ翻訳の仕事に打ち込んだようです。南相馬は鹿島区も原町区も小高区もそれぞれに教団の教会や伝道所があり原発事故後に仙台から、そして今は福島から何度も通っている地域です。あの地域が郷里であるために原発事故前からそこに住み、事故後もさらに住み続けオルテガの翻訳の大きな仕事をされてから亡くなられた方がおられることを知りました。記事を読み苦労の日々を思い心が動かされる思いでした。 オルテガの『大衆の反逆』の名前は前から知っていました。読んだことはなかったのです。新聞を読んですぐに大原病院近くの西沢書店に駆けつけて探しましたが岩波文庫そのものがわずかしか置いてありません。もちろん佐々木訳の『大衆の反逆』もありませんでした。そこで妻に頼んでアマゾンで取り寄せてもらいました。注文した翌日に届きました。なんという速さでしょうか。 オルテガの『大衆の反逆』を始めて読んだ感想を記します。まずこの本を今、国連の世界保健機構が「パンデミック」(世界的大流行)と呼ぶ新型コロナウイルスの感染が広がる中で読むことができたことはただの偶然とも思えません。このようなときに人間とは、大衆とは何か、と考えることができました。2020年6月末の時点で今回のウイルス感染者の数は世界中で1000万人を超え、死者は50万人を超えています。100年前に大流行したスペイン風邪以来の感染者の多さです。世界中の大衆が罹患した感染症です。ブラジルなどでは貧しい人たちの住む地域での感染が拡大しています。しかし、貧富の差でなくその差を含む大衆とは何でしょうか。オルテガがこの本を出版したのは1930年です。第一次と第二次世界大戦の間の時期です。スペインではその年に首都マドリードで暴動が起こり、翌年の1931年にはスペイン革命が起こりブルボン王朝の滅亡となります。大衆が起こしたスペイン革命だったはずです。 『大衆の反逆』の中で印象に残った言葉を一つ紹介します。「つまり私たちは、信じられないほどの能力を有していると感じていても、何を実現すべきかを知らない時代に生きているのだ。あらゆるものを支配しているが、おのれ自身を支配していない時代である。おのれ自身の豊かさの中で途方に暮れている。かってなかったほどの手段、知識、技術を有していながら、現代世界は、かってあったどの時代よりも不幸な時代として、あてどもなく漂流している」。オルテガにとって大衆とは便利さや豊かさの中で自分を支配できず途方に暮れている人たちです。なんという厳しく冷めた大衆の見方でしょうか。  以前にベツレヘムの聖誕教会を訪ねたことがあります。教会の地下に4世紀の教会の指導者ヒエロニムスの石像が立っています。石像の足元に石でできた人の頭骸骨が置かれています。ヒエロニムスが聖書のラテン語への翻訳の仕事をこの教会の洞窟にこもってしていた時に励ましてくれたローマの貴族の未亡人パウラの頭骸骨のレプリカと言われます。パウラの死後にヒエロニムスはその骸骨を見ながら自分を励ましウルガタ訳と言われる聖書の翻訳を完成したのです。オルテガを翻訳して死んだ佐々木孝さんを思いました。

2020/7月号 月報より

6月2日(火)の午前6時少し前のことです。朝来た新聞を読んでいると外で鶯のなく声が聞こえました。どこで鳴いているのかと思って窓越しに場所を見ようとしているうちに、三、四回きれいな鳴き声で鳴いてからすぐにいなくなりその後は二度と現れませんでした。鶯が飛び去ってすぐに急な雨が降り始めました。まるで雨が降ることを知らせに来てくれたかのようでした。日本では「梅に鶯」という言葉があるので鶯は春先に来るのかもしれません。中国では鶯はよく詩の中にうたわれています。唐の詩人に杜牧という人がおり「江南春」という題の詩があります。 「千里鶯鳴いて、緑紅に映ず」と始まる七言絶句です。中国でも「江南春」の題で杜牧が絶句を残していることを考えると鶯は春にやってくるのでしょう。鶯との関連で言えば昨年の日記に鶯の鳴く声を6月2日ごろに聞いたと書いてあるかと思い調べてみました。書いてありません。その代わりに6月2日は日曜日で「東北きずな祭り」が国道4号線を一部通行止めにして行われていて、青森から来ていた「ねぷた」を見に午後になってから行ったと記されていました。あれから一年が過ぎました。一年前にこのような世界中に新型コロナウイルスの感染拡大が起きることを誰が考えていたでしょうか。誰一人として夢にも思わなかったことではないでしょうか。 小高伝道所と浪江伝道所の代務者をしている関係で、相双・宮城南地区の総会の資料が5月中に手元に送付されてきました。本来ならば5月17日(日)の午後に開かれるものでしたが、教区総会と同じく書面による決済となりました。相双・宮城南地区は宮城県の南部にある10教会と福島県浜通りの5教会で合計15の教会、伝道所によって構成されています。そのうちの2教会2伝道所が現在無牧師です。送られてきた総会資料には議員名簿や昨年の会計報告や今年の活動計画案ばかりでなく各教会の近況報告と新しく地区内の教会に4月から赴任された3人の教師たちの自己紹介が写真入りで載せられていました。それぞれ読ませていただきましたがコロナウイルスの感染拡大の中で、地区内それぞれの教会が主日礼拝をどのように守っているのかが書かれており主日礼拝を休まないで何とか守ろうとする努力のいったん知ることができました。当たり前のことのように毎週何事もなく守られ続けている主日礼拝ですが、ウイルス感染拡大の事態の中で改めてなぜ教会に集まり礼拝するのかが問われる思いがしました。ちなみに、ウイルスはラテン語で、毒の意味だそうです。 相双・宮城南地区の総会資料とともに送られてきた文書の中に、4月からはパソコンのズームを利用してオンライン礼拝をしている教会がありました。また4月12日からは教会で主日礼拝は守らないようにして事前に送られてきた週報に沿って礼拝を守った教会もあります。福島教会と同じ形です。礼拝開始一時間前から礼拝堂に次亜塩素酸を噴霧してから主日礼拝を休まず守り続けた教会もあります。さらには、礼拝中の讃美歌や信仰告白や主の祈りなどもすべて黙読や黙祷にしている教会もあります。礼拝中に会衆は声を出さないということです。また、礼拝堂に集まる人の人数を制限して毎週守り続けた教会もありました。 しかし、ズームによるパソコンやスマホの画面上の礼拝が礼拝と言えるのかなどと考えだすと難しい問題があると思われます。あくまでもコロナ対策のために教会に集まれない中での苦肉の策でしかありません。これからは教会へ行かなくても済むようにズームによる礼拝に切り替えることにしたなどということにはならないことを願います。感染の第二波や第三波が来るのではないかと恐れている人たちがいます。しかし、聖書はいつの時代においても預言者や神のみ使いたちを通してその時々に生きる人たちに「恐れることはない」と語りかけているのです。

2020/6月号 月報より

世界中のイスラム教徒たちは4月23日(木)からラマダン(断食月)に入っている。この日から一か月間は日の出から日没まで飲食をしない。ラマダン期間中でも日没を過ぎて夜になれば家族とともに食事をすることができる。このこと一つとってもイスラム教は戒律を守る宗教。信者に対して「五行」の戒律を守ることも示される。信者はどこに住んでいても一生に一度はサウジアラビアにある聖地のメッカに巡礼に行かねばならない。メッカ巡礼は「五行」の一つである。「五行」はともかくとして、今年のラマダンには異変が起きている。新型コロナウィルスの感染がイスラム教の国にも広がりを見せているからである。 例えばイスラム教徒の多い、サウジアラビアでは、ラマダン期間中の礼拝をモスク(礼拝所)ではなく自宅で守るようにと指導者たちが呼び掛けている。インドネシアも同様である。しかし、パキスタンなどでは人と人の距離を2メーターあけてモスクでの礼拝を守ると決めている。たしかに安息日にモスクで守る集団礼拝は三密(密閉、密集、密接)である。エルサレムの黄金のモスクやイスタンブールのアヤソフィアモスク、ブルーモスクなどを見学しているがここに集まり集団で礼拝する様子は想像できる。まさに密集そのものである。 私たちの教会が属している日本基督教団でも全く同じ考えが示されるようになった。4月10日に教団議長と総幹事の名前で「新型コロナウィルス感染拡大防止に関する声明」が出た。そこには次のように記されている。「感染の危険が高まっている地域の教会・伝道所では極力、教会に集わない方法で礼拝をささげることを講じてください」また、「自宅で礼拝をささげることも、他者にウィルスを感染させないという意味で神の愛の業です。」さらに「自宅礼拝をささげる人が、霊的に孤立することがないように努めてください」などである。福島教会でも教団に属する教会として議長声明に従う形で4月26日と5月3日の主日礼拝を家庭礼拝とした。教会員がそれぞれ自宅においてあらかじめ教会が送付したその日の週報に従って礼拝を守る形である。これは牧師として苦渋の決断である。断腸の思いがする。牧師としての40年を超える歩みの中でこのような形で礼拝をする決断をするとは全く思ってもみないことだった。 教団議長の「他者にウィルスを感染させないために自宅で礼拝をささげることも神の愛の業です」を読みながら昔読んだフレッチャーの『状況倫理』を思い出した。この本には「キリスト教的な決断にとって唯一の規範は愛である。他にはなにもない」と記されている。新型コロナウィルス感染の中でいろいろな国において医療崩壊が起こり人間の命が危機に瀕している。その中でキリスト者に対してもいままでに経験したことのないことへの決断が求められる。礼拝を今までと同じように皆が集まる形で続けることがよいのか、そうではないのかの決断である。その決断の基準は何か、と問われるならばフレッチャーはキリストへの愛である、と答えるだろう。 もう一冊、アルベール、カミュの『ペスト』もこの時期に読んだ。ウィルス感染が広がる中でカミュの『ペスト』は売れている。主人公のリウーはペストと戦う医師である。この小説の中で疫病のペストと戦うのは一人リウーだけではないが、リウーの言葉で印象に残った言葉がある。「こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、しかし、ペストと戦う唯一の方法は誠実さということです」そして、「誠実さとはどういうことですか」に答えて「僕の場合には自分の職務を果たすことだと心得ています」とリウーは語る。リウーは自分の医師としての務めを疫病ペストが広がる中で果たすことを誠実さと理解する。私どもにとって愛も誠実もキリストの十字架の信仰に基づくものではあるまいか。そこに状況への愛の決断も誠実も生かされる道がある。「愛には恐れがない」(Ⅰヨハネ4章18節)からである。

2020/5月号 月報より

今年になって出版された新刊書の一冊を手にした。斎藤孝の『一行でわかる名著』である。「はじめに」のところで、 一行一生―その一行が、一生の先生になる、と記されている。さらに「この本では古今東西でおさえておくべき61冊の名著を厳選しました。これらに触れることで、私たちの知的能力がどう拡張されうるか、七つの章に分けて解説しました。読書は洞察力や判断力だけでなく、共感力や生命力にも火をつける」と書かれている。読んでみて面白いと思った。その影響を受け長年の読書の中で自分なりの「一行でわかる名著」を二冊紹介したい。ただし聖書の中の一行の言葉は含めないで聖書の紹介はしない。聖書はもちろん名著ではあるが、それだけでなく私たちにとって「信仰と生活のあやまりなき規範」(日本基督教団信仰告白)である。 最初は20代の大学時代の専攻が中国哲学であったためによく読まされた『論語』である。原典を一年かけて読む講義は必須科目だった。『論語』は紀元前に書かれたもので世界の名著である。共感する言葉が年齢とともに変わっているように思える。最近、伝道と牧会しながら読んでこの一行の言葉といえば為政第二にある。 「子曰はく、人にして信なければ、その可なるを知らざるなり。大車げいなく、小車げつなくんば、それ何をもってかこれをやらんや」貝塚茂樹の訳文を記す。「先生がいわれた。人間の身でありながら、その言葉が信用できないと、いったいなんの用に立つか皆目わからない。大車にくびき、小車にくびきがなかったら、どうして牛馬の首をおさえて車を走らせることができようか」  大車のくびきは牛車の前端にあり、牛の後ろ首にかける横木のこと、小車のくびきは馬車につかうくびきのことであり同じようなくびきであっても牛車と馬車の区別がある。孔子が何歳の時にこのような言葉を弟子たちに教えたのかは分からない。しかし、実に深い洞察力による人間理解が示される。教会の牧師として長年歩んで最近はしみじみその言葉を思う。まさに「人にして信なければ」である。教会の中だけでなく世の人々に対してもどんなに理路整然と立派な言葉を語ったとしても人から信頼されていないならばその言葉は何の役にも立たない。つまり人を動かさないし何の可もない。人と人が信頼しあうことの大切さを孔子はよく知っていたのである。また逆に信頼しあわないときにどのようになるのかも知っていたのである。 もう一冊紹介したい。アウグスティヌスの『告白』である。400年に全13巻を書き終えている。この書物も原典で関西学院大学の神学部の大学院の講義で一年間かけて宮谷宣史先生指導の下で読んだ。30代の前半のころである。第一編に次のような言葉がある。 「あなたがわたしたちを、あなたにむけて創られたからです、そのためわたしたちの心は、あなたのうちに憩うまでは、安らぎをえません」(宮谷宣史訳)日本語だけでなく外国語も含めてほとんどすべての翻訳文を参考にしながらラテン語の原文を読み一回の講義で少ししか訳すことができなかったことを思い出す。『告白』は『懺悔録』という名前の書物として昔、出版されていた。それはこの書物の内容がアウグスティヌスの幼年期から司祭になるまでの自分の罪の懺悔を記していると考えられるからである。しかし、書物の題名「コンフェシオ」の意味は、「讃美する」もあり『讃美録』とするべきとの意見のあると聞いた。神が人間を創造したとの信仰の立場に立ちながらその神のもとに憩うまでは真の平安がないとの一行の言葉は、いま新型コロナウイルス感染の騒ぎの中にある世界中の人たちが心して聞くべき言葉である。神のもとに憩わせていただく礼拝の時をたとえどのような時代どのような時にあっても大切にしたいものである。

2020/4月号 月報より

2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から今年の3月11日で9年になりました。例年通り教区主催による3、11記念礼拝が教区内の四か所の教会を会場にして守られたと思います。今回で9回目となるこの礼拝は2月以後に中国から広がったとされる新型コロナウィルスの感染拡大が日本国内のみならず世界中で懸念される中での開催となり、中止する方がよいとの意見もありました。確かに教区主催ということであれば3月20日に予定されていた伝道研修会は中止にしています。福島地区では3月15日に予定されていた地区協議会も中止になりました。したがって3、11の礼拝を実施するかどうかも含めて主催する教区側の責任あるものとして判断に迷いました。 しかし、この礼拝は3,11に守ることに大きな意味があり他の日に延期することはできないと考えました。そして礼拝の出席は主日礼拝がそうであるように自主的なものであり各自の判断が優先されます。出席については各自の判断にゆだねるしかありません。それでも福島県で会場となった福島新町教会には32名の方々が集まり、京都から出席された方もおられました。 コロナウィルス関連で行事を実施するかどうかの判断に迷ったのは3、11記念礼拝だけではありません。3月14日(土)に宮城県栗原市で行われる「いずみ」主催の甲状腺検査の実施についても判断に迷いました。「いずみ」として「甲状腺検査会の実施について」の文章を作成して検査を受ける方々に注意を喚起しながらの実施となりました。役に立つ点もあるかと思いますのでその文章の中からいくつかの点を紹介します。 1、新型コロナウィルスの感染力はインフルエンザと同程度で、感染経路は飛沫感染と接触感染。 2、一部の患者さん(特に高齢者や基礎疾患を有する方)が重症化する可能性がある。3、致死率はサーズやマーズに比べて低い。中国では感染者の約八割は軽症で、致死率についてはサーズでは10パーセントに対して新型コロナウィルスは現在2パーセントとのことです。 尚、新型コロナウィルスの問題点については、検査法がまだ普及していないこと。治療法がまだわからない、などがあります。 「いずみ」の検査会は希望者を対象としたものであり、強制参加ではありません。体調がいつもと違う場合は慎重に対応していただくようにお願いします。 これは検査を実施する医師の意見を聞いて作りました。やはり「いずみ」の甲状腺検査にしても、3月下旬に沖縄に行く予定の保養のプログラムについても社会と直接関わる取り組みであるために、実施には慎重を要することと思います。それにしても公立の小中学校の臨時休校や大相撲春場所の無観客での実施。政府主催の3、11追悼式典の中止などさまざまな中止対応がなされるなかで人々の生活に混乱が起きています。これ以上のウィルス感染拡大が起きないことを祈るばかりです。 人間の歴史は感染症との戦いでありその戦いには終わりはないと言われます。中世のヨーロッパの社会を恐怖におとしいれたペスト(黒死病)の流行もペスト菌の感染によるものです。当時の世界で一億人もの人たちが死にました。ペスト菌はネズミなどからノミを通して人間に感染が及んだものと考えられています。ある国では人口の半分ぐらいの人が死んだと聞きました。現在もドイツ南部の小さな町のオーバーアガマウで行われるキリスト受難劇はそのペストが自分たちの町では流行しなかったことに街の人たちが感謝して10年に一度、町の人たちがすべての配役となり行われています。2020年の今年がその年に当たるそうです。

牧師室より

2020/3月号 月報より

今年の1月27日、1940年にナチス・ドイツが建てたアウシュビッツ強制収容所が旧ソ連軍によって解放されて75年になり記念の式典が行われたとの新聞の記事を読んだ。場所はポーランドの南にあるオシフィエンチムという町。オシフィエンチムは、アウシュビッツ強制収容所のあった町である。新聞の記事の中に収容者たちが銃殺された死の壁と呼ばれる施設内の写真が載っていた。そして、この式典に世界各地から参加して死の壁の前に立ち献花をして祈る人の姿が示されていた。 1945年1月27日に旧ソ連軍によってアウシュビッツ収容所が解放されるまで、このような収容所がポーランド国内にあることは知られていなかった。もちろん当時のナチス、ドイツが支配した他のヨーロッパの場所にも収容所はあったが、その存在も知られていなかった。また、このアウシュビッツ収容所一つだけでもユダヤ人を中心に110万人もの人たちが殺されている。このような事実を含めてホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)と呼んでいる。さらに、アウシュビッツ収容所が解放されたとき約7500人が生き残っていたそうである。そして、今回の式典に出席した人たちを含めて約200人の人たちが今も生きているとのことである。 私がこの収容所を訪ねたのは10年前の2010年の夏。ポーランドからドイツを巡る旅の途中である。かねてから一度機会があればぜひ行きたいと願っていた。そのような願いは、フランクルの『夜と霧』を大学時代に読んだことにより起こされた。はじめて『夜と霧』を霜山徳爾訳で読んだときの衝撃は今も忘れることができない。人間歴史の中に本当にこのような出来事が起こったのか。信じられないが正直な思いだった。もし、このようなホロコーストの施設が本当にあるならば自分の目でその場所を確かめてみたいとの思いを抱いた。単純といえば単純である。しかし、真理の発見とは科学の世界でも「なぜリンゴが木から落ちるのか」との単純な問いをニュートンが持ったので万有引力の存在が発見されたように単純な問いを持つことから始まるのではないだろうか。『夜と霧』を読んだことから生じた単純な問いはそのまま心の中に秘められており、その後長い間実現せず2010年になって初めて実現した。最近では1947年刊の旧版に基づく霜山徳爾訳の他に、1977年に刊行された新版に基づく池田香代子訳があり訳文も読みやすくなっている。 『夜と霧』の著者のフランクルは、この本の副題が示しているように「ドイツ強制収容所の体験記録」実際の収容所を体験している。しかも心理学者として人間の心の問題を考える専門家の立場からこの本を書いたと言える。さらに言えばこの本が描いている人間の状況は極限の状況である。そのようなところに著者自ら身を置いて「人間とは何か」と問いかけている。人間は普段は他者に対して身構えており人の手前も考えるので正体を現さないが、ひとたび極限状況に置かれると正体を現す。まさに聖書が記しているように、「覆われているもので現わせないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである」(マタイによる福音書10章26節)の通りである。 フランクルが『夜と霧』の中に記す言葉を引用する。「生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない」。福島で生きることの問いは9年前の震災と原発事故の中で問われた。その問いに正しく答える義務があるとフランクルはこの書物を通して今も語りかけてくる。

2020/2月号 月報より

いつも利用している生協の個配の配達が年末から年始にかけて休みになった。
そのため年末と年始は毎日のように生協の新町店に買い物に出る。年末の店の中には、ベートーヴェンの交響曲第九番(合唱付き)の第四楽章「よろこびの歌」が流れていた。
日本では、いつからか分からないが年末に第九を歌うことがなされている。ある地域では「第九を歌う会」があると聞いた。クリスマスにヘンデルの「メサイア」を歌うよりも広く浸透しているようだ。
ところが新年1月2日から営業を始めた新町店に行くと、今度は宮城道雄の筝曲「春の海」が流れている。正月になったから第九から琴と尺八の二重奏「春の海」へ変わった。なんという変わり身の早さだろうか。
年末前のクリスマスの季節はジングルべル、年末は第九、年始は春の海の曲が流れていて何の不思議にも思わない。これが日本である。「さんまは目黒に限る」ように年始は「春の海」に限るのだろう。 生協の新町店の道路を挟んで反対側の道路に面して鈴木神仏具店がある。店の前の道は散歩のときによく通るが店の中に入ったことはない。店の看板に神具、仏壇、仏具、などとある。なるほど神仏具店だから神道のものも、仏教のものも両方売っているわけだ。しかし前を通るたびに神仏具店という名前に違和感ももっていた。
京都の町には仏具店は多くある。しかし、神仏具店はあっただろうか。京都の町をくまなく歩いたわけではないが、少なくとも京都駅前にある東西本願寺の本山の周辺にはなかったように思う。
これも、ジングルベルから第九へ、そして春の海へと変わり身が早いことと同じ現象ではないだろうか。神仏具店は神仏習合していてお寺の中に神社がある日本だからありうることではないのか。
さて、評論家の加藤周一に『日本文化の雑種性』がある。加藤は、1951年にフランスにわたり帰国してから『日本文化の雑種性』を出版した。フランスで改めて日本の思想や文化について考えた。
加藤より1年前の1950年の夏に森有正や遠藤周作もフランスに渡っている。そして森も遠藤も加藤もフランスに住んで日本文化や思想について思索した。ただ三人の書いたものを読むと、それぞれ違う考え方をしているように思われる。ここでは加藤の日本文化の雑種性について紹介したい。
加藤は次のように記す。「明治以来日本の文化を純粋に西洋化しようという風潮が起こると、日本的なものを尊ぶという反動が生じ、二つの傾向の交代は、今にいたってもやまないようにみえる。こういう悪循環を断ち切るみちはおそらく一つしかないだろうと思われる。
純粋日本化にしろ純粋西洋化にしろ、およそ日本文化を純粋化しようとする念願そのものを棄てることである。英仏の文化は純粋種であり、それはそれとして結構である。日本の文化は雑種であり、それはそれとしてまた結構である。」
日本で純粋西洋化の道を断念したことにおいては、カトリックのキリスト教徒だった遠藤も同じである。そして、加藤は日本の文化は雑種でよいと考えている。
今、教団の宣教研究所から原稿の依頼を受けている。5人の牧師の分担執筆で一冊の本が出版される予定である。
私には「日本人の宗教性とキリスト教」という題で書いてほしいとの依頼。日本人の宗教性とは何か。加藤ならば雑種であるというだろう。クリスマスにはジングルべルを聞いて、年末には第九を聞いて、新年を迎えれば春の海である。
七五三ではお宮参り、結婚式はキリスト教式で、お葬式はお寺で、まさに雑種である。本人には雑種との意識もないのではあるまいか。聖書を開いてみる。
エジプトから脱出した民は、「種々雑多な人々」(出エジプト記12章38節)だった。種々雑多(雑種)の人々を一つのするために神の言葉としての十戒が与えられた。
雑種であるがゆえに一つになる道があると信じる。それが聖書の信仰である。

2020/1月号 月報より

2020年の新しい年を迎える。20年前に2000年を迎えた時は21世紀を迎えてどのような時代が来るかとの期待感もあったが、2000年を記念して日本銀行が発行した2000円札と同じように、新しい時代への期待感は2、3年でどこかに消えてしまった感がある。消えてしまった2000円札は2019年秋に火災にあって焼失した沖縄の首里城の守礼の門が表で、裏には源氏物語の著者の紫式部が小さく描かれる図案だった。今回の火災で首里城の正殿など中心部分は焼失したが城の入り口に立つ守礼の門は焼けなかった。1972年3月に初めて沖縄を訪ねた時に首里城に上った。日本に沖縄が返還される前である。城の全体が戦争で破壊され何も残ってはいなかったが、古びた木造建築の守礼の門だけが残されていた。もちろん再建された首里城の正殿とともに守礼の門も新しい門になっている。また、ユネスコの世界遺産に指定されたのは焼けなかった首里城の地下の遺跡の部分といわれる。 さて、新しい年を迎えて「新しい」とはどういうことなのだろうかと考えてみた。聖書は旧新約を問わずしばしば新しさについて語る。旧約の詩編96篇も98篇も最初は「新しい歌を主に向かって歌え」である。「新しい歌」の新しいとはどのようなことだろうか。「新しい歌」とは新しく作られた歌のことであると説明する人がいる。つまり新曲である。果たしてそんなことだろうか。そうではあるまい。新しさにはもっと深い意味が込められている。それは終末的な新しさである。古い曲に対して新曲の新しさを意味するのではない。預言者のエレミヤにおける「新しい契約」のことも思いだす。エレミヤの「新しい契約」はエレミヤ書31章に記される。「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。」(31節)ここで言われる新しい契約とは何か。「かってわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心の中に記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(32節~33節) ここに預言者エレミヤが考える「新しさ」が示される。その新しさは、神と人との契約にかかわる新しさである。古い契約については「先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだもの」。具体的には十戒のことである。十戒は二枚の石の板に記されていた。しかし、新しい契約に関しては、「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心の中に記す」と言われる。新しい契約は十戒のように石の板ではなく、心の板に記されるものと考えられる。ここにエレミヤが語る「新しさ」の意味がある。心の板とはなんであろうか。心に板などあるわけがない。つまり石のように目に見えるものでなく、目に見えないものとして新しい契約は心の板に記されているのである。そこに新しさがある。 他方、新約が語る「新しさ」とは何か。「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」。(ガラテヤの信徒への手紙6章15節)パウロはここで「新しさ」について語る。その新しさは「新しく創造」されることの新しさである。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」。(コリントの信徒への手紙二・5章17節)この二つのみ言葉をともに読んで示される「新しさ」は、キリストと結ばれることによって得られる「新しさ」である。それでは私どもはどこでキリストと結ばれるのか。それは礼拝である。2020年の新しい年を迎えても一年52週の礼拝を守り続けていく中でキリストに結ばれている新しさの中を歩みたいものである。

「ニューヨークへ一人旅」② 2019/12月号 月報より

   ニューヨークへ一人旅の二回目を記す。今回の旅の目的は三つあった。
一つ目は9月15日の主日に守られるニューヨーク郊外のユニオン日本語教会30周年記念感謝礼拝に出席すること。
二つ目は、理事や評議員を務めまたキリスト教学の非常勤講師として教壇に立った東北学院大学の創立に関わる宣教師、ホーイの母校、ペンシルバニア州のランカスター神学校を訪ねること。
そして、三つ目は摩天楼のそびえるマンハッタンの一人歩き。できればブロードウエイの劇場で本場のミュージカルも見ることが出来たら、また超高層のエンパイアステートビルの展望台にも上りたい。これらは、すべてかなえられた。神の守りがあったからである。日本のアルプスの山々も一人歩き。ニューヨークのマンハッタンも一人歩き。ひどい時差ボケに悩まされたにもかかわらず道を間違えることもなく地図を見ながら目的地にたどり着けたのはマンハッタンの町の造り方のためと思われる。
 摩天楼がそびえ立ち昼間でも暗いマンハッタンは碁盤の目のように造られている。南北に街と名のつく道が走り、東西は何丁目となる。例えば5番街の42丁目という具合である。北に行けば数が増え南に下れば減る。南から北に向かいダウンタウン、ミッドタウン、アップタウンとなる。分かりやすい。5番街の西側に行けば6番街、7番街と12番街まで数が増え12の先は海。東側に行くと一番街まで数が減りその先は海。途中にマジソン街とかレキシントン街など名前の付く道もある。いずれにしても分かりやすい街づくりである。それで目的地を間違えず一人歩きができた。
 旅の目的の一番目は、以前から願っていたユニオン日本語教会の30周年記念感謝礼拝への出席である。教団派遣の宣教師としてこの教会で伝道している上田容功牧師とは支援する会の代表を務める関係である。前回、記した入口のドアーを手で押して入るグランドセントラル駅から教会があるハーツデールの駅まで各駅停車の電車にのり約一時間。教会はその駅からすぐ近い。無人駅でホームにおり階段を上ると出口が二方向に分かれる。
日本の駅のように東口とか西口などと書かれていない。不親切と言えば不親切。どうぞ勝手に降りる人は好きな方に降りてくださいと言わんばかりである。しかも階段が鉄の剥き出しになっている。まるで工事現場。教会は独自の会堂を持っていないので大きな会堂をもつているヒッチコック長老教会の一部屋を借りて毎週礼拝を守っている。教会員は2名。毎週の礼拝出席は3名か4名と聞く。東北教区内の諸教会を思い起こす。創立されたのは30年前の1989年。バブルの時代で日本の企業から駐在という社員がニューヨークへ多く来ていたそうである。今は会社からの派遣の様子も変わっている。しかし、母国語の日本語で讃美歌を歌い、日本語の説教を聞くことのできる教会はニューヨークで今もその存在の意味を失っていない。
 二番目のホーイの母校、ランカスター神学校へはペンシルバアニア駅からアムトラックという列車に乗車した。アメリカへ行ったら大陸横断鉄道には乗れないにしても列車の旅をしてみたいと願っていた。片道、約二時間半の列車の旅の中で車窓の景色を見ながら上田宣教師から教会の実状をゆっくり聞くことが出来た。
 マンハッタン一人旅は書きたいことが多くて迷う。宿泊したホテルの近くに「あずさ」という名前の日本食レストランがあった。夕食ですき焼きを注文すると汁の入った鉄なべの中にすでにうどんが入っている。ご飯とサラダもつく。とても全部食べきれない量である。さすがアメリカでありなんでも量が多い。ブロードウエイでミュージカルも見ることができた。ライオンキングである。そして無事に一人で日本に帰って来た。

「ニューヨークへ一人旅」① 2019/11月号 月報より

1990年3月末に東京の西の郊外の教会へ富山から転任した。その年の夏に新宿駅で中央線から降りた際、網棚に手提げのかばんを置き忘れた。電車を降りてドアーが閉められたと同時に気づいた。
駅員に依頼し次の停車駅で捜してもらうよう手立てを尽くしたが出てこなかった。普段持ち歩いている大切なものを一瞬のうちに失った。それ以来、電車の網棚にはなにも置かない。かばんに入っていたのは財布に入れた現金だけではなく教会から預かっている封筒に入れた現金や手帳やモンブランの万年筆も車のキーも家の玄関のキーも失くした。幸いにして運転免許証は車の中にあり無事だった。
人間は懲りないものである。30年近くなってまた同じように大切なものを置き忘れた。場所は新宿駅ではなく、アメリカのニューヨーク。電車の網棚ではなく宿泊していたホテルのトイレ。手提げかばんではなく二つ持っていたもう片方の財布である。そして、今回は帰国する日で気が緩んだのかホテル一階のトイレを使って後にかなり時間が過ぎてから気づいた。
あわてて戻ったがあるはずはない。気づいたのは降りた新宿駅の電車ホームではなくケネディ国際空港行の高速バス乗り場である。
幸いだったのは運転免許証については必要ないと思い、持っていかなかったし、カード類も使えないものは持っていかなかったので失くさないで済んだ。飛行機の羽田到着は夜で、もともとその日に福島に帰れない。空港近くのホテルは予約してあるが代金を現金で支払うお金が無い。諸々のカードも失くした財布の中にありカード払いはできない。
東京に住む息子が夜の羽田まで来てくれ助けてくれた。親父にあんなに感謝されたのは人生初めてだとは、あくまで本人の言葉である。
さて、そのように日本に帰国する日にお金とカードの入った財布を失ったが、今回のニューヨーク一人旅で得たものはお金では買えない。今回、アメリカは初めての入国だった。海外への旅を数えてみたが世界の国で14番目に訪ねた国になる。そんな中でまずアメリカで驚いたこと。
地下鉄を早朝に何回か利用した。乗っている人が英語を話していない。何語か分からない言語である。おそらくスペイン語かポルトガル語ではないか。これは日本で考えられるだろうか。地下鉄に乗っている人が早朝であれ夜中であれ昼間であれ日本語を話していない状態はない。
しかしニューヨークではある。キップを買うための自動販売機には英語での案内表記とは別に他の国の言語の案内があった。『地球の歩き方』などの本には主要な駅には日本語の案内もあると記されている。しかし、実際はニューヨークの中心の駅のグランドセントラル駅でさえ日本語で案内をする自動販売機はなかった。そのグランドセントラル駅にも驚いた。
駅の入り口は手で押して入るドアーだ。東京駅を思い浮かべた。丸の内口でも八重洲口でも駅の入り口にドアーなどない。改札口を出ればそのまま外である。もし公共の施設の建物にドアーがあるとすれば自動だろう。ニューヨークでは建物だけではないと思われるが不便なものであっても壊さないで人間が辛抱して古いものを残して生活している。
ランカスター神学校の学長室の柱時計も古いものが置いてあった。ウイーンのオペラ劇場に入った時に最上階の六階まで階段を上がらされたのを思い出す。エレベイターもエースカレーターもない。古い建物をそのまま使っている。アメリカもヨーロッパもそのような文化である。
9、11同時多発テロ事件の現場を訪ねた。テロで倒壊した世界貿易センタービルが建っていた場所である。グランドゼロと呼ばれマンハッタンの南端にある。亡くなられた方々の名前が刻まれている石に囲まれている場所の下が深く掘られた正方形のプールになっていて、たえず水が流れている。世界が本当の意味で平和であるようにプールの前に佇みながら神に祈った。

近況および所感 2019/10月号 月報より

   8月最後の主日礼拝は夏期伝道実習に来ていた東京神学大学の早川神学生が礼拝説教を担当した。
それで助けられた。当日は説教できる体調でなかったからである。後日、かかりつけの医師からは「熱中症」と診断された。
医師の話しではそのような症状が出ると「熱中症もかなり進んだ段階です」とのことである。土曜日の夕食はとれなかった。そして日曜日の朝になっても良くならず食事も全く食べられなかったのに朝から黄色の胃液を何度も吐いた。頭はふらつくし気持ちは悪いし吐き気はするし苦しかった。礼拝後に休日当番医の医師に点滴をしてもらい助けられたとの思いである。高齢者が夏に熱中症で死亡するのは他人事でない。自分も正真正銘の高齢者だからである。
8月末の誕生日で72歳になった。医師によれば若い人でも熱中症になるという。
  振り返ってみると土曜日の午後にいつもより長めの散歩に出た。普段の散歩で一度も立ち寄ったことのない県立図書館の中に入りどの程度の本が揃えてあるのかを調べてみたりした。図書館の帰り飯坂線の駅から福島駅まで電車に乗らないで教会までわざと遠回りをして戻ってきた。それから横になって急に具合が悪くなった。
あの変化は今までに覚えのないようなものだった。散歩ですこし疲れた感じがして横になったのだが起き上がろうとしたところで頭がふらついた。立ち上がれない。これは駄目だと思い血圧を測ると上が182で下が101だった。こんな数字はいままでに見たことがない。夕食をとらず風呂にも入らないで眠ってしまえば翌朝には良くなっていると判断したが甘い考えだった。熱中症によってひどい脱水症状になっていた。
  42年目になる牧師としての歩みの中で日曜日に体調が悪かったことが何度かある。急に悪くなったこともあり、また以前から悪くなっていて日曜日にさらに悪くなったこともある。仙台の教会にいた時に金曜日の朝に起き上がろうとしたとたんに「ぎっくり腰」になった。二階から一階へ下る階段を一歩一歩降りながら腰に鉄板を置かれている痛みと重さを感じた。これでわが人生も終わりかなと思った。腰痛のひどい状態である。近くの整形外科までなんとか歩いていき電気をあててもらったり引っ張ってもらったり注射をしてもらったり腰痛のベルトをいただいたり、薬を出してもらったりいろいろの手立てを尽くしたがすぐには良くならなかった。そして日曜日の朝がきた。讃美歌を歌うときに立ったり座ったりはできない。説教する時だけ立つことにした。なんとかかろうじて最後まで務めを果たせた。幸いにしてその後「ぎっくり腰」にはならない。
  牧師は日曜日だけ仕事をしていればいいので楽なものだとある牧師の就任式の祝辞で述べた人がいる。認識不足である。日曜日に急に具合が悪くなったとしても牧師は他の誰かに代わってもらうことのできない務めを担っている。説教の完全原稿をつくっておいて講壇で倒れたら続きを他の人に読んでもらうようにしていると真面目に言う人もいるが果たしてそれでよいのだろうか。疑問が残る。その人がそこにいて語るから意味を持つこともある。旧約の列王記上の最初は次のように始まる。「ダビデ王は多くの日を重ねて老人になり、衣を何枚も着せられても暖まらなかった」(1章1節)聖書に老人問題が触れられていないなどと言う人は旧約を読んでいない。旧約は人間が年を重ねることがどういうことをもたらすのかを見つめている。私も今回「熱中症」と言われて自分もいよいよ老いて熱中症になるのだと知らされた。毎日、朝起きた時に今日も絶好調とは言えないかもしれない。それが今の自分の平常の健康であると思うことにしている。
「その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6章34節)